中学2年生の時、社会の時間。韓国併合について勉強していた時のこと。社会の先生が「1910年韓国併合の年は日本人として忘れてはいけない」と言いました。「日本人が朝鮮半島の人たちを辱めた年」だからだそうです。

そこから数年後。浪人時代の世界史の授業で、安重根による伊藤博文の暗殺について学ぶ際に、世界史の先生が言ったこと。「伊藤博文は死ぬ間際に『馬鹿な奴らだ』と言った」。伊藤博文は韓国併合に反対で、伊藤博文が殺されたことによって1910年韓国併合は起きた……ということを教わりました。

どちらの先生のことも私は大好きでしたし、生徒だった頃には色々な面でお世話になりました。

歴史というのは解釈によって人それぞれの意見があり、語る人によって見え方が変わるものです。特に明治維新以降の歴史観は現在の政治観にも影響を及ぼします。

過去にお世話になった歴史の先生2人の、韓国併合の意味がこれだけ違うのを思い出すと、つくづく学校の社会の先生は教えるのが大変だと思います。教科書通り教えているつもりが、いつの間にか自分の思想盛り盛りな授業になってしまうこともあるのかな……

先生も人間だから、個人的な思想があっても当然です。けれども子供は自分で考えて判断することがなかなかできないものなので、あまり授業中に自分の思想を出さず中立の立場を保つ必要があります。

先生に限らず、中立の立場を保つことができなくて悩んでいる人がこの世にはたくさんいることを考えると、社会って教えるのが難しそうな科目だなと思います。

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