何事も学ぶ上で「分かること」を目指すのは重要ですが、途中で何度か「分かった気になること」もまた必要なことなのかな、と思ったりします。

「分かった気」になれば自分なりに学んだことを言葉にできます。言葉にできれば人に話すことができます。人に話せば間違いを指摘してもらえます。そしたら一層「分かる」に近づけるんじゃないかな……なんて。

「分かった気になる」で止まってしまう人もいるのかもしれませんが、「何も分からない」よりはずっとマシ。「分かった気になる」ことは「分かる」までの道のりを短縮してくれるんじゃないかな?

……などとつらつら書いている私は、未だ何も分かっていません。それっぽいことは言えるけれど、所詮「分かった気になる」の域を出ていないのかもしれません。まだまだ「分かる」には時間がかかりそうです。