昔(と言うか前は)日本人とって、働く事は喜びだった。
少なくとも、生活の為に耐えるものでは無かった。
いつの間にか、働く事は耐えるものなり、苦痛となった。
その苦痛(就労)をしていない者(失業者・無業者・障害者等)を敵視し、バッシングする。
更に、働いている者達同士の連帯感も無くなり、他の働いている者が酷い目(過労・低賃金など)に遭っていても「自己責任」とし、放置する様になった。
日本社会は、動物世界の様に弱肉強食社会となり、人々は、弱い者が虐げられていても当然視する世と成った。
食物連鎖から外れている人間の様に、弱肉強食社会に組み込まれていない強い者への憧憬が社会通念となり、強い者(世界一のアスリート・ノーベル賞受賞者・エリート政治家(安倍晋三など)・人気テレビタレントなど)をひたすら崇拝し、人々から批判的理性は失われて行った。
批判的理性を働かせない国民(有権者)が大勢いる社会は、政治家にとっては御し易く、社会問題を解決する(最小化する)様な、国民の公共性に則った政治は否定され、野望を持った政治家の個人的な目的を実現する政治が行われる様になった。
そして、その様な政治は有権者に批判されずに、支持され継続して行った。
その様な社会は、豊かな社会とは言えず、人の当たり前の事---結婚し子どもを持つ---が困難な世で、子どもはドンドン少なくなって行った(少子化なし無子化)。
子どもが居なくなれば、その内、戦後(明治維新以来か?)日本人が追い求め続けた「経済成長」は、終わる。
日本は、「経済大国」では無くなる。
そう云う政治が行われて、そして国民は、支持した。
転換すべきではないか?
働くことを喜びに戻すべきでは?
働くことが喜びとするならば、「過労死」など以ての外だ。
どんな職業に就いていても同じ人間だ。ある時間以上働けば、死ぬ。
マラソンのメダリストでも、長時間の過労をすれば、死ぬ。
例外なく一日の労働時間は規制すべきだ。法律で。
(労働基準法の36(サブロク)協定条項は廃止だ。)
また、自社の従業員に適正な給料を支払わない経営者は、社会的に指弾されるべきだ(そう云う社会であるべきだ)。
従業員に適正な給料を支払わず、「内部留保」に回す経営者を認めて良いか?
「サービス残業」など以ての外だ。
声を上げよう。
本当の、素直な声を。
働くことを喜びに戻すために。
連帯感を取り戻すために。