夏は暑く、冬は寒い。
夏を涼しく、冬を暖かく、は程度がある。
自然の摂理を捻じ曲げてまで、夏を涼しく、冬を暖かくは、オカシイ。
人間も生き物であり、自然に適応する。
人間の体は季節の変化にも適応するものだと思う。
科学技術を使い、エネルギーを浪費して、自然を捻じ曲げて、快適を追求するのは、オカシイ。
人間という自然の生き物と、季節の変化との間で(自然の摂理が許す範囲で)、快適を求めるべきだと思う。
本当の創造性とは、自身が生きていくのに必要なものを自身で作り出していくことでは?
自身が創意工夫して、暮らしをできるだけ快適なものとする。
昔の日本人は、科学技術を使わず、この国の自然に適した様々な生活の創意工夫を積み重ねてきました。
その創意工夫を一人ひとりが継承すべきでは?
それは、喜びを感ずることだと思う。
自身の生活の創意工夫=暮らしの創造から、逃避し、買い、そのための賃金を求めて、働く。
それは、大事であり自分にとって有益でもある生活の創意工夫=暮らしの創造を、捨て、働いて得たお金を浪費(無駄遣い)に転換しているだけの生き方ではないだろうか?
工夫すれば要らないお金のために、働いている。
会社の利益増大のための創造性なんて、オカシイ。
生活の創意工夫の時間を削り、買うための賃金を求めて会社で働く。
今は、過剰消費&過剰賃金労働の社会だと思う。
(そうするしか無い、と言われそうですが、今の社会には展望がありません。
客観的物理的変化(地球温暖化・CO2)を見ても未来はありません。)
できるだけ買わない、できるだけ自分で工夫する。
(買わなければ、所得が少なくてもいい。=労働時間削減。)
暮らしていくのに必要なものは、自分で工夫して作る。
それが創造であり、喜びでは?