天国にいくてんちゃんのこと⑦ | ジェットコースターメンタルな私の頭ん中

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ジェットコースターみたいなメンタルの自分が嫌だなと思ってたけど、これが自分なんだから仕方ない\(^^)/…と割り切れた(振り切れた?笑)主婦のブログです。

産まれてすぐにしたかったことは一通りできたので、私はお昼ご飯まで少し休み、夫は市役所へ書類の提出に。
その日の朝出産したのでもう1泊することもできたのですが、病室が個室なので金額も高そうで、家でもゆっくり休めるようにするよと夫が言ってくれたので、この日の夕方退院することにしました。
夕方の子どもたちの迎えは夫が行ってあげたいねと言っていたので、この日の夫は
病院→市役所→病院→家→園→家
と、なかなか忙しかっただろうなと思います。

そんなハードスケジュールをこなし、夫は退院の時間の1時間前には市役所から帰ってきてくれました。
(お昼ご飯は外で済ませて来るかと思いきや、一旦家に帰って前の晩に義母が作ってくれていたものを食べて、洗濯を回して戻ってきたそう。
すごい!)
私自身の退院の準備は終わらせていて、てんちゃんの準備は夫としたいなと思って残していました。
てんちゃんはベビーベッドに寝ていて、ガーゼで包まれ、細いガーゼで浴衣の帯のようにくくってもらっていました。
北海道の方が作られた14〜18週くらいの子が目安の産着を用意していたのですが、16週と数日のてんちゃんには少し大きく、助産師さんに話すと病院にある産着の1番小さいサイズが合いそうとのことで、そちらをいただくことにしました。
(その産着はBさんの団体が寄付したものではなかったようですが、Bさんの団体と一緒に産着を縫う会をしたこともある、「岡中エンジェルドレスプロジェクト」という活動で中学生が縫ってくれたもののようです。
産着と同じ布をくるみボタンにして家族の元に置いておけるように、という気配りがあって、なんて素敵な気配りなんだとちょっと泣きました。)
夫が病院に戻ってきてからは、そんな産着を着せたり、ベッドから棺にてんちゃんを移して、作っていた飾りを入れたりして退院の準備をしました。
棺は病院で準備のあった紙製の棺(Amazonでエンゼルボックスという名前で売られているものと同じものを800円で買えました)を使わせていただきました。
退院の準備ができたので、夫に私の荷物を一度車に運んでもらい、車を病院の裏口に停めるように言われたので移動してもらって、てんちゃんの棺だけを抱いて退院します。
病院の、普段患者さんは歩かないであろうエリアをくねくね歩き、裏口から先生と助産師さん方に見送られて帰りました。
これも初めての経験だねと夫と話しながら歩きました。

そういえば、今回破水をこんなにはっきり感じたのも初めてでした。
上2人のときは破水は1番最後で、子宮口が全開になったくらいに分娩台の上で破水したり、全開になっていても破水はしていなくて破水させてもらったりだったので、パン!じわーっという「THE破水」を経験できたのも、3人目にして初でした。

帰りながら、子どもたちと久々に会えるのを楽しみにしたり、てんちゃんの姿を子どもたちに見せるのかどうか話をしました。
親としては、姿を見て、てんちゃんがここまで頑張って育ったこと、でも残念だけど亡くなってしまったことを受け止めてほしいと思うけど、てんちゃんの見た目を幼い子どもたちがどう受け止めるかがまったく予想がつかず。。
ただただトラウマになってしまわないかが心配でした。
結局、夫に園の帰り道で姿を見たいかどうか聞いてもらって、見たいと言ったらまず軽めに写真を見せて、反応が悪くなければ本人を見せようかと話をしていました。
ただ園から帰ってきた子どもたちはすぐに見る!と…!
帰り道で写真じゃなくてちゃんと見たいという話になったらしく、帰って早々にリビングでてんちゃんの棺を囲んで丸く座って、子どもたちにてんちゃんの姿を見せました。