はじめに
こんにちは、shionです。
皆さんは、海外で生活をしたことはありますか?
私は、イギリスに1ヶ月程、ホームステイをしたことがあります。
勤めていた会社を辞めた後、急に思い立って、バタバタと計画を立ててスーツケースに荷物を詰め込み、飛行機に飛び乗りました。
初めてのヨーロッパで、カタコトの英語しか話せず、緊張と恐怖に押し潰されそうになったことを覚えています。(恐らく、忘れることはないでしょう......)
そんな心理状態だったので、現地の語学学校で日本人に会えた時は、涙が出るほど嬉しかったです。
外国語の習得を目的とした滞在において、母国語を使うことは褒められたことではないのですが、”言葉が通じる”という事実が、まるで奇跡のように感じられました。
結局、英語はあまり話せるようになりませんでしたが、貴重な体験と、大切な友人に出会えたことは、望外の幸運でした。
突拍子もない計画を立てて実行すると、思わぬ未来が待っているかもしれません。
紹介文
今回は「生き方」をテーマに、川内有緒さんの『パリの国連で夢を食う。』『パリでメシを食う。』をご紹介致します。
川内さんは、日本大学芸術学部からアメリカのジョージタウン大学へ進学。
卒業後はワシントンのコンサルティング会社や日本のシンクタンクなどを経て、31歳のときに、パリに本部を置く国連機関に転職。
5年半程勤めた後に退職。
現在、日本でノンフィクション作家として活躍されています。
経歴を拝見する限り、いわゆる”エリート”の道を進んできたように思えますが、ご本人は経歴に関して、とあるインタビューで以下のように語っていました。
プロフィールだけがひとり歩きしているのが、私の人生の最大の問題点かも。だから自分のキャリアについて話すときはいつも恥ずかしい。(HUFFPOST <あの人のことば> 2015年6月6日)
いつもあまり深く考えず、衝動に従ってパッと動いてしまうんですね。そのときそのときでは「これだ!」って真剣に思うんですけど、後から振り返ると「何でだっけ?」というチョイスを常にしている。
(HUFFPOST <あの人のことば> 2015年6月6日)
『パリの国連で夢を食う。』は、そんな著者がパリで国連職員として働いた、怒涛の5年半を赤裸々に綴ったノンフィクションです。
親しみのある筆致で、「次は何の話をしてくれるのだろう!?」とページを捲る手が止まりませんでした。
納得のいくまで物件を探し廻り、パスポートを複数持っている同僚に驚き、ワールドカップに熱狂したり、現地の大学で講義をすることになったり......
著者が全身全霊を賭して過ごした日々が、有り有りと目に浮かびます。
ある日、オフィスビルの裏門で見かけたホームレスの親子を見かけたとき、自らの仕事に違和感を覚え、退職を決意されたようです。
そのときの心境が、本書では以下のように書かれています。
これは、もうダメだ、とはっきり感じた。私は、ここにいてはいけない。このままここにいたら、なりたかった自分からはますます遠ざかっていく。自分の足で歩くことを忘れて、あのケチな自分に戻ってしまう。その時、最後のドアが開いた。もう、行かないと。『パリの国連で夢を食う。』P.311
川内さんは、実は国連職員として働く一方、個人的な活動として、パリで働く日本人たちに話を聞いて廻っていました。
その内容が文字に起こされ、本になったものが『パリでメシを食う。』です。
芸術家たちの不法占拠ビル”スクワット”で自由に絵を描くアーティスト。
世界的なヨーヨー・アーティスト。
オペラ座に漫画喫茶を開いた起業家。
愛犬が店番をしている花屋を開いた夫婦。
異国の地で希望や不安を抱えながら、懸命に、ときに飄々と、各々が生きてきた軌跡が綴られています。
そんな川内さんもまた、”パリでメシを食う”日本人の一人でした。
大きなものに頼るのをやめて、一人の表現者として生きていったらどうなるだろう。うまくいかなければ、その時考えればいい。
だって、パリで生きるみんなが教えれくれた。
人はどう生きることもできる。『パリの国連で夢を食う。』P.312
人生は、衝動で動いたときに大きく動く。時には、損得を考えずえいっと飛び込んでみないといけない。もちろんよくない結果になるときもあるけれど、私はそれを失敗だとは全然思わないし、国連を辞めた選択についてもまったく後悔していません。(HUFFPOST <あの人のことば> 2015年6月6日)