はじめに
こんにちは、shionです。
皆さんは、学生時代の「美術」という教科に、どんな思い出がありますか?
私は、絵が壊滅的に下手で色彩感覚も乏しく、作品を上手く仕上げられた経験が無いので、好きになれませんでした。
鉛筆で線を引こうにも、直線は歪に曲がり、逆に曲線は不安定な丸みを帯びたり、自分のイメージ通りに描けることも稀で...
絵の具で色を塗ろうにも、色合わせも分からず、何も考えずに水で薄めて失敗したり...
上手く出来ないのなら、練習して上達を目指す道もあったはずですが、そんな努力すらしませんでした。
勉強に限らずですが、「上手く出来ない。だから好きじゃない。」という流れで、好き嫌いを決めてしまうことがあります。
好きで得意なことに時間や労力を費やすことは、至極当然のことだと思いますし、基本的には、私自身も、その姿勢を大切にしたいと考えています。
でも、もしかしたら、上手く出来なかったことの中に、今の自分を変えてくれる”何か”が隠されているのかもしれません。
先日、スケッチブックを買い、仕事のことも忘れて、試しに鉛筆で絵を描いてみました。
相変わらず、人様に見せられるようなものは描けませんでしたが、不思議と、心地よく手を動かせたのは、何故だったのでしょう。
紹介文
今回は「芸術」をテーマに、上の2つをご紹介させて頂きます。
まずは、山口つばささんの『ブルーピリオド』。
高校生・矢口八虎が、とある絵に衝撃を受けて美術の世界に飛び込み、美大を目指していく漫画です。
1巻の冒頭から引用すると、
俺はピカソの絵の良さがわかんないから
それが一番スゴイとされる美術のことは理解できない
よくわかんない
俺でも描けそうじゃない?
という彼のモノローグからも分かる通り、主人公の八虎は、昔から美術に親しんでいた訳ではなく、むしろ芸術全般に対しては冷ややかな目を向けていました。
そんな彼が、覚悟を決めて美術の世界に入り、個性豊かな人たちと関わりながら成長していくストーリーは、漫画として読み応えがあります。
「純粋に面白いから読んでいる」というのは間違いないのですが、自分自身が美術に精通している訳ではないことに、少し引け目を感じていたのも事実です。
『ブルーピリオド』に限らず、美術というものと、自分はどう向き合いたいのか、考えてみたいと思いました。
そこで、末永幸歩さんの『13歳からのアート思考』を読んでみることに。
著者の末永さんは、国公立の中学・高校で美術科の教師をしており、生徒たちに「自分なりのものの見方・考え方」を手に入れてもらうことに力点を置いた授業を行っているそうです。
「アート思考」とは、先述した「自分なりのものの見方・考え方」のことで、著者はイタリア・ルネサンスの巨匠であるレオナルド・ダ・ヴィンチを例に、以下のように述べています。
彼(=レオナルド・ダ・ヴィンチ)がやっていたのは、「自分の内側にある興味をもとに自分のものの見方で世界をとらえ、自分なりの探求を続ける」というアート思考のプロセスそのものです。『13歳からのアート思考』P.41
また著者は、多くの人が「アート=アート作品」であると勘違いしていると指摘しており、アートを植物に喩え、作品自体は”花”として表出している部分に過ぎず、その地面に根差した”タネ(興味・好奇心)”や”根っこ(探究心)”を含めてこそ「アート」なのだと言います。
それは、ピカソが遠近法に疑問を持ち、「多視点でとらえたものを再構成する」
という「自分なりの答え」を導き出したように、
私たちも、既存の枠組みを信じ込んで、どこかにある”答え”を探すのではなく、好奇心や探究心に突き動かされて発見した気づきや疑問を大切しよう、ということなのです。
『ブルーピリオド』の中で、個人的に好きなキャラクターに、「森先輩」という美術部の部長さんがいるのですが、
彼女が「昔、先生に言われた受け売り」として八虎に語った言葉が、『13歳からのアート思考』を読んだ後、自然と思い出されました。
あなたが青く見えるなら
りんごもうさぎの体も青くていいんだよ
『ブルーピリオド』1巻
「主観的」であることは、往々にして悪いイメージを持つ場面が多いですが、その背景に”アート思考”が存在するのなら、それはアーティストとしての「自分なりの答え」に他ならないのです。
芸術は難しい。
でも、向き合い方次第で、日常に彩りを与えてくれる、良き隣人にもなり得るのかもしれません。