はじめに

 

こんにちは、shionです。

 

部屋の片付けに終わりが見えず、途方に暮れております......。

 

そんなにモノを買った記憶は無いのですが、いつの間にか床面積を占領しているのは何故なのでしょう。

 

「必要かどうか、迷ったら捨てよ」という格言を聞いたことがありますが、「捨てたら手元から無くなる!」という当たり前の事実が頭を離れず、終いには収納箱行きになるのです。

 

クローゼットを圧迫している衣服たちも同様で、「もう着ないから処分しよう」と一度は決意するも、両親や祖父母に買ってもらった記憶が脳裏を過ぎり、結局そのままに......。

 

ミニマリストを目指している訳ではありませんが、自室を快適な空間にするためには、モノと離別する決断力が求められそうです。

 

 

紹介文

 

 

今回は、高峰秀子(1924-2010)のエッセイ集『コットンが好き』です。

 

高峰秀子は昭和期の日本映画界を代表する女優の一人で、『二十四の瞳』や『カルメン故郷に帰る』などで主演を務めました。

 

恥ずかしながら、女優としての彼女をほとんど知らないのですが、文筆家として残した数々のエッセイには、すっかり魅了されてしまいました。

 

『コットンが好き』は、当時60歳だった彼女が、少しはやい身辺整理を念頭に、自身の周りにある道具や小物に思いを馳せながら綴った文章を纏めた本です。

 

鏡・花瓶・手燭・浴衣・徳利・飯茶碗・箸置き・水差し・腕時計......本当に様々なモノが、カラー写真で紹介されています。

 

本書のメインディッシュである、モノにまつわる思い出の文章には、ノスタルジックな湿っぽさは感じられず、自然でユーモラスな文章に、思わずクスッとしてしまうこともあります。

 

それは、彼女のモノたちに対する溢れ出る思いが、一つ一つの言葉から感じ取れるからです。

 

まえがきに、このような記述があります。

ケチ精神旺盛な私のことだから、よくよく惚れて納得しなければ小皿一枚買うものではない。それだけに、さて、それらのものどもを整理処分しよう、と、思い立ってはみたものの、どんなに小さなもの一つにも、私なりの思い出があり愛着もあって、「そう気安くは手放せない」ということに気がついた。(『コットンが好き』まえがき)

 

そんな彼女も、女優として成功し、華やかな映画の世界で生きる一方で、肉親との壮絶な葛藤があったようです。

 

人の生き様が、その人の紡ぐ文章にどう影響するのかは分かりませんが、自伝である『わたしの渡世日記』も併読することで、高峰秀子という人間をより深く知ることができるかもしれません。