はじめに
こんにちは、shionです。
先日、本棚の整理を行いました。
フランスの美食家が残した格言に「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人か言い当ててみせよう。」というものがありますが、本や漫画・アニメーション、映画やドラマも同じでしょうか。
私の場合は、殊、本棚に関して言えば、過去の自分が色濃く反映されているような気がします。
長期連載の漫画が多かったりすると、心踊らせながら読んでいた高校時代を思い出したり、途中で読むのを止めてしまった連作小説の背表紙を見ると、「そう言えば、あのシリーズ読んでいた気がする」と、突然思い返したりします。
本棚に並べられた書籍たちを見て、それらに紐づいた記憶を思い起こすのは、大切なことだと思います。
今でも、意識的に取り出して読み返す漫画やエッセイ集は、何冊もあります。
それとは別に、いつまでも同じ本たちを棚に閉まっていると、まるで自分は変化していないような気持ちになることがあります。個々の本たちは傑作揃いで、ただ自分の未熟さを当てつけているだけだと、重々承知なのですが......。
今回の整理で、棚の中だけでなく、自分自身の棚卸も少しできた気がします。
もっとも、大した代物が内包されている訳ではありませんが。
皆さんの本棚は、どうでしょうか?
紹介文
今回は、荒川洋治さんの『夜のある町で』というエッセイ集です。
詩人である著者が書いた散文ということもあり、読んでいて「言葉が柔らかいな」と感じます。
言葉全般に対して造形が深い訳ではないので、「柔らかい言葉とは何ぞや?」と問われると説明に窮するのですが、読み返して思ったことは、「平易な言葉を敢えて使っている」という点です。
それは決して「幼稚」という意味ではなく、無秩序に難しい言葉を羅列した文章とは一線を画した、丸みを帯びた文章なのです。
自分に置き換えて考えると、人と話すときは特にですが、粒度の粗い言葉を使っているように思います。
横文字を多用したり、本質的な意味を理解せずに用いたり。(「本質的」も個人的には難しい言葉です。)
荒川さんの文章を読んでいると、言葉と向き合うことの大切さを痛感します。
もしかしたら、無意識に使っている言葉たちを通して、自分がどんな人間なのか、周りの人には見抜かれているのかもしれません。