6月6日 木曜日 曇り 昼間は暑い 蒸し暑い風
アジサイが見頃になりました。
花菖蒲は終わりました。
今は2番、3番花です。
今回は「オタクサ」の話です。
これは、長崎のお土産です。
これはアジサイの花を型取ったお菓子です。
買ったことありますか?
長崎の定番お土産、カステラの替わりにどうぞ。
本題。
「アジサイ」のことを「オタクサ」と言います。
学名です。
長崎の市の花はアジサイです。
ここからがシーボルトの悲しいお話。
彼が愛した長崎の女性「お滝さん」にちなみ、
「ハイドランゼア・オタクサ」という学名をつけて、
世界に紹介した日本原産の花なのです。
アジサイはヨーロッパで品種改良して、逆輸入した花なんです。
涙、涙の二人の愛の物語の始まりです。
シーボルトは1823年8月、長崎出島へオランダ商館の医師として来日します。
西洋医術を施す彼に、長崎では、たちまち「名医現る」との評判がたちます。
そこへ患者としてやって来たのが、長崎の遊女「其扇(そのぎ)」です。
どうやらひと目でこの日本女性に夢中になってしまったシーボルト。
同年11月には、故郷の両親に宛てて、
「素晴らしく可愛い日本の女性と結婚しました」(中略)
「お滝さん以外の女性を妻に迎えることは絶対にありません」
という手紙を送っています。
やがて二人の間には「お稲」という女の子も生まれ、幸福な日々が過ぎて行きます。
が、それも束の間。
一時帰国しようとしていたシーボルトの荷物から、当時国外への持ち出しが禁じられていた日本地図や葵の紋の羽織などが見つかります。
スパイの容疑をかけられ、1829年、シーボルトはお滝・お稲を残したまま、国外追放の身となるのでした。
ところが、程なくお滝さんから、
親戚の勧めで再婚したことを告げる手紙が届けられます。
自分の肖像を蓋に描かせた煙草入れとともに、
「他の人と結婚するけれど、私の事忘れないで」という残酷なまでに切ないお滝さんの思いが書いてあります。
たとえ、他の男性のものとなっても、シーボルトもお滝さんのことを忘れようとはしませんでした。
帰国後の生涯を「日本学」の研究に捧げようとしていた彼は、その研究成果の中に、お滝さんの面影をとどめようとしたのです。
1832年、彼が刊行した『日本』という本の中では、侍、町人、僧侶など、当時の様々な日本人の絵姿が紹介されています。
その中には、お滝さんの肖像が特に大きく収められています。
お滝さんへの愛が真実であり、永遠であるというシーボルトの誓いのようにも思われます。
この話を聞いたら、アジサイを見る目が変わってくるでしょう。
美しい花に自分の愛する人の名前を付けたいものですね。(ちょっとキザ)
アジサイ欲しい人、切花にして差し上げてます。
どうぞ。(声かけてくださいね。)