みなさま、こんばんは~~~
西暦2023年9月7日(木)、夜7時過ぎからのブログアップです
昨日、9月6日(水)にアップしたブログを誤って削除してしまい、再度、同趣旨の内容のブログを書いています。
(ありゆる手段を講じましたが、記事の復活は出来ませんでした)
NAGOYA PLAYERS による、ミュージカルではないミュージカル
『Untolled』
いよいよ、明日初演でございます
(9月8日(金)~10日(日)の3日間となります)
※以下、NAGOYA PLAYERS のサイトからの抜粋です
「Untolled」は、今までにないスタイルのミュージカルではない、ミュージカル。ベテラン俳優たちが、テネシーウィリアムズの「熱いトタン屋根のネコ」を制作する様子を描いています。笑いあり、涙あり、ケンカもあり、ロマンスもあり。敵対や、クビになったり戻ってきたり、飛び出して辞める者もいます。歌を歌う者もいます。
「Uwaki」(2014年)「Unglued」(2017年)「Unmarked」(2019年)を皆様にお届けした、ちょっぴりおバカな演出家が、満を持して2023年9月8.9.10日に皆様に大いに笑いをお届けします。お見逃しなく。
PERFORMANCES•公演日程
There will be a total of 5 performances (全4公演):
DATE | TIME(S) |
Sept. 8th | 18:30 |
Sept. 9th | 13:00 & 18:00 |
Sept. 10th | 13:00 & 17:00 |
Tickets•チケット |
Advance•前売 |
Door•当日券 |
Adult•大人 |
2500円 |
3000円 |
Senior•歳以上 |
2000円 |
2500円 |
Student•学生 |
1500円 |
2000円 |
VENUE•場所
名古屋市青少年交流プラザ ユースクエア
郵便番号:462-0845
名古屋市北区柳原三丁目6-8
さて、今回の英語舞台演劇出演につき、オーデイション合格後、昨年末からについて、彼の作品と生涯、その人生について調べております。
以下、ウイキペディアから引用させていただきます。
テネシー・ウィリアムズ(Tennessee Williams, 1911年3月26日 - 1983年2月25日)は、アメリカ合衆国のミシシッピ州コロンバス生まれの劇作家。
本名はトマス・レイニア・ウィリアムズ(Thomas Lanier Williams)。愛称の「テネシー」はその南部訛りからセントルイスでの学友に付けられた。ルイジアナ州ニューオーリンズのフレンチ・クオーターで長年暮らした。
1948年には『欲望という名の電車』で、1955年には『熱いトタン屋根の猫』でピューリツァー賞を受賞。
1956年にニューヨークの路上で三島由紀夫と出会って以来親交をもち、数回来日している。
と説明されていますが、ダース塩川が参考にしている論稿、
『The influence of Japanese traditional performing arts on Tennessee Williams's late plays』
Jonson,S,E(2014)「University of Iowa」
https://doi.org/10.17077/etd.92wlztti
では、この著名な作家と劇作家が出会ったのは、1957年、三島由紀夫が彼の作品『Five Modern Nō Plays』
の英訳をプロモートするためアメリカ渡航中、ニューヨークのパーテイ会場で初対面をはたしたとしています。以降、ウイリアムズが東京へ向かう最低でも4回の旅行のきっかけとなったとしてます。
また、ウィリアムズの死後発表された戯曲の一つで、画家ジャクソン・ポロックの死をきっかけに書かれた『男が死ぬ日』(The Day on Which a Man Dies)は三島に捧げられ、1957年に英訳出版された「近代能楽集」(Modern Noh Plays)に倣って「西洋能」(An Occidental Noh Play)という副題がつけられたとのこと。
彼の作品については、下記の初期作品において、リアリズム戯曲作家として高い評価を得続けたが、1950年代後半から60年代以降の作品については、評価を落とした。おそらく、アメリカ人の演劇作品への好みの変化、オフブロードウェイでの諸作品が新たなブームを巻き起こしたことが原因かもしれないと、Jonson,S,E(2014)「University of Iowa」の論考では記述しています。
- ガラスの動物園(The Glass Menagerie 1945年)
- 欲望という名の電車(A Streetcar Named Desire 1947年)
- 夏と煙(Summer and Smoke 1948年)
- カミノ・レアル(Camino Real 1953年)
- 薔薇の刺青(The Rose Tattoo 1955年)
- 熱いトタン屋根の猫(Cat On a Hot Tin Roof 1955年)
- ベビイ・ドール(Baby Doll 1956年)
- 地獄のオルフェウス(Orpheus Descending 1957年)
ここで、以前、このブログでもふれましたが、奈良大学教授『古木圭子』女史の下記の論考から、テネシーウィリアムズと日本古典演劇の接点という観点から、参考にしていただく資料として引用させていただきます。
『Tennessee Williams演劇にみる「日本」』
─ The Day on Which a Man Dies, In the Bar of a Tokyo Hotelを中心に ─ 古 木 圭 子
序論:Williamsと日本演劇の接点から
Tennessee Williams (1911-83) は,その数作の戯曲に,能や歌舞伎などの日本演劇の要素を 多く取り入れている。特に1960年代以降の作品においては,日本演劇にヒントを得たと思われ る要素が多くの場面で顕著にみられる。
例えば,The Milk Train Doesn’t Stop Here Anymore (1963) においては,”kurogo”(黒子)と呼ばれる数名の人物が舞台上に登場し,登場人物のア クションの補助を行い,彼らの言動に対するコメントをしている。
1960年代の代表作である The Night of the Iguana (1962) においては,東洋のイメージに彩られた女性主人公Hanaが, 東京でプレゼントされたという歌舞伎の衣装を着けてパフォーマンスを行う場面がある。
しかし,Williamsがどのような意図を持って,そのような日本演劇の要素を自作に取り入れたのかについては,先行研究において明らかにされているとは言い難い。
Williamsが日本演劇の要素を取り入れた実験手技法を試みるようになったのは,主に1960年代以降であるが,それ以前の主要作品においても,Williamsは「日本的」要素を駆使している。 また日本においても,Williamsがきわめて好意的に受け止められてきた劇作家であることは興 味深い。
Philip Kolinは,1953年,A Streetcar Named Desireが文学座によって初演された際 の状況を詳細に説明し,この上演が日本におけるWilliamsの「爆発的人気」を生み出し,その後の「日本演劇の西洋化」を促進することになったと論じている。さらに戦後, アメリカ軍の占領により,日本の「封建的」伝統劇であった能や歌舞伎が弾圧される中,新劇 が「民主化」を促す「装置」として支持されていたという背景もあり,アメリ カ現代劇としてのA Streetcar Named Desireの人気に繋がったと言える。
しかし,A Streetcar Named Desireが日本で好意的に受け止められ,人気を博した背景には, Williamsが既にこの作品の中に,たとえばBlancheが裸電球に被せる紙提灯のような舞台装置 に代表されるように,「日本」的要素を含めていたからではないかと考えられる。
Williams自身,「劇作家のみたニッポン」と名づけられた三島との対談において,日本の作家とアメリカ南部の作家は,どちらも「土に近い」ということと,「家族というものが非常に強い」という 意味において,共通点がみられると述べている。また来日の際,A Streetcar Named Desire日本公演の舞台稽古を観たWilliamsは,文学座の舞台がアメリカのそれに非常に近いものであることに驚き,アメリカでの上演に近い演出ではなく,歌舞伎の技法を取り入れた演出を試みてもよかったのではと三島に提案をしている。
これらの記述から判断すると, WilliamsはA Streetcar Named Desire執筆当時の1940年代当時から,歌舞伎などの日本演劇を 自作に取り入れることに興味を持っていたと思われる。
石田章は,Williams戯曲の中には「日本あるいは東洋的な物にふれた作品がかなりある」と述べ,さらに彼の描く人物が表象する「東洋的」なイメージとそれらが「重なり合って」,「見事な劇的効果」を生み出していると指摘している。さらに,Allean Haleは,Williams と三島の交流の軌跡,両者の戯曲における共通点,彼らの私生活の類似点などを示し,日米両劇作家が互いの演劇に与えた影響を論じている。しかしこれらの研究は,Williams の劇作キャリアにおける日本演劇の位置づけを論じたものではなく,歌舞伎や能の要素を取り入れたWilliams戯曲の劇的効果について,さらなる論を展開する必要があると思われる。
そこで本論は,日本演劇の影響を最も顕著に受けていると考えられるThe Day on Which a Man Dies (2008)を取り上げ,その改訂版と考えられるIn the Bar of a Tokyo Hotel (1969) と比較し, その過程で,The Day on Which a Man Diesでは顕著である日本演劇の要素が,改訂版におい ては希薄になっている部分があることに着目し,その理由を探ることとする。さらに,これら の作品に登場する芸術家像と日本演劇を取り入れた実験的演劇技法の関係について考察を進めたい。
(以上、序論:Williamsと日本演劇の接点から抜粋)
それでは、テネシーウィリアムズの日本古典芸能(能・歌舞伎)からの影響については、今後、このブログにて継続的にアップさせていただきます。今回の名古屋市内での英語劇公演が終わり、しばらくしてから、少しづつ書いていきますので、よろしくお願いいたします。
では、明日9月8日(金)~10日(日)までの3日間、テネシーウィリアムズの世界に浸ってまいります。
おやすみなさいませ~~~
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9月になり、三重県北部地方も涼しくなってきました