アリストテレス先生の演劇論等について考える今日です(昨日は、ホットヨガの苦しいレッスンでした?) | 塩川blog(司法書士・行政書士・宅地建物取引士)

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みなさま、こんにちは~~~ルンルンコーヒー爆笑

 

 

 

西暦2020年7月15日(水)、午後からのブログアップです~アップ

 

 

 

珍しく、午後3時過ぎからのブログアップとなりました。

 

 

さて、昨日は、初めてのホットヨガの体験を名古屋市栄にあるヨガレッスン・スクールで体験いたしました。

 

 

いやあ、大変でした。

 

 

瞑想の時間が多いのかなと思っていましたら、ストレッチ鍛錬を徹底的に行うキツイメニューで、曹洞宗の座禅にチャレンジするつもりで入ったのですが、

 

 

事前に、担当コーチからのヒアリングで、武術(剣道、剣術、空手、槍術、薙刀など)、役者(時代劇、シェークスピア劇&音楽劇(オペラ、オペレッタ、ミュージカルなど))、声楽、ヒップホップダンスなどにチャレンジしていて、

 

180度開脚ができるようになりたい(??)のが目的でレッスンを受けたいと、訳の分からないことをお伝えしての体験レッスンとなったのすが、、、、、ねこクッキー目?

 

 

まあ、キツイ、キツイ、レッスン時間でした。

 

でも、レッスンに入る多くの女性の方々は、まあ、素晴らしい柔軟性を発揮される方ばかりでびっくりしました。

 

担当コーチからは、まあ、2年ほどかけて180度開脚ができるようにしましょうと言われて、ホッとヨガレッスン講座への入門とあいなりました。

 

また、このブログで、進捗状況をお伝えしていきます。

 

さて、先日、週間文集7月9日号に掲載されている文集図書館『名著のツボ、石井千湖氏コラム』で、アリストテレス詩学についての記事が掲載されていました。

 

 

ギリシャ悲劇の最盛期は紀元前5世紀頃とされているようです。

 

プラトンは、『国家』で悲劇詩人を批判しましたが(アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスの三大悲劇詩人など)、弟子のアリストテレスは師とは異なり、悲劇を養護し、その著『詩学』にて、歴史上初めて芸術の価値を哲学的に証明したとされているとのことですね。

 

 

ギリシャ悲劇については、

 

 

塩ジッチャン、芸能学校での演劇講座、その他、演劇教室などで、幾人かのインストラクターの先生方から、

 

『行くつくところは、ギリシャ悲劇を学んでいただくことをおすすめします』というお言葉をいただきました。

 

どちらかといういうと、シェークスピア悲喜劇をスタート地点として考えていたのですが、西欧の歴史を考察すれば、

 

原点は、ギリシア悲劇・ギリシャ喜劇(ギリシア喜劇のほとんどは散逸しているとのこと)を学ぶということに外ならないので、

 

21世紀の現時点でも、近世の演技論・演技技術論は山のようにありますが、西欧の舞台演劇、舞台芸術ということを考えれば、ギリシャ時代に遡るということになるのかなと思います。

 

 

※アジアの演劇となると、中国古典劇の歴史となりますが,その起源は古代の巫覡 (ふげき) の歌舞にまでさかのぼり、春秋時代,歌舞専門の「優」が現れ,漢代に「百伎」と結びついて演劇の形式をそなえてきたそうです。

 

(参考までに)
『中国古典激の起源』

 演劇の起源が古代の巫覡(ふげき)による宗教的な歌舞にある点において,中国もまた例外ではない。その集団的歌舞のようすは,《詩経》や《楚辞》のなかの芸能詩によってうかがい知ることができる。一方,春秋戦国時代(前770‐前221)の宮廷には,〈倡優〉とよばれる道化師がいて,歌舞に滑稽をまじえて王侯貴族を楽しませることを職掌とした。楚の荘王に仕えた優孟,秦の始皇帝に仕えた優旃(ゆうせん)などがそれで,彼らにはいわば後世の役者俳優の原型ともいうべきものを見ることができよう。

(以上、コトバンクより抜粋しました)

 

 

 

 

以下、アリストテレス先生の『詩学』について、 またまた、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から参考に、抜粋したテキストを掲載させていただきます。

 

 

 

 

詩学』(しがく、希: Περὶ Ποιητικῆς、羅: De Poetica、英: Poetics)は、詩作について論じた古代ギリシャの哲学者アリストテレスの著作。原題の「ペリ・ポイエーティケース」は、直訳すると「創作術について」、意訳すると「詩作(ポイエーシス)の技術について」といった程度の意味。

彼の著作中では、『弁論術』と共に、制作学(創作学)に分類される著作である(どちらも「修辞・文芸」的要素と「演劇」的要素の組み合わせによって成り立っている)。またプラトンによる『国家』第10巻と共に、文芸論・物語論・演劇論の起源とされている。

 

古代ギリシャでは、広く「作ること(創作・作成)」全般を意味する「ポイエーシス」(希: ποίησις)という語が、やがて専ら「詩作」を、さらには「詩」そのものを意味する語にもなった(英語のpoetry等の語源)。また「作者(創作者・作成者)」全般を意味する「ポイエーテース」(希: ποιητής)という語も、専ら「詩の創作者」としての「詩人」を意味するようになった(英語のpoet等の語源)。それほど古代ギリシャにおける創作芸術において、「詩(詩作)」の占める比重は大きかった。

 

 

というのも、古代ギリシャにおいては、(もちろんギリシャに限らず他の古代文明も少なからずそうだが)韻文で文芸作品(ムーシケー)を作り、それに節をつけて歌ったり、劇として演じるといった営みが当たり前だったので、「詩」という概念が(文芸・歌謡・演劇を含む)今日よりもはるかに広い範囲に適用されていたからである。

詩・詩人の分類

詩(ポイエーシス)の主な種類としては、

  • 叙事詩(希: ἔπος, エポス、ἐπικός, エピコス、英: epic) - ホメロス『イーリアス』『オデュッセイア』など。
    • 讃歌(希: ὕμνος, ヒュムノス、英: hymn) - 『ホメーロス風讃歌』など。
      • パイアン(希: παιάν) - アポローン讃歌。
      • ディテュランボス(希: διθύραμβος) - ディオニューソス讃歌。
    • 哀歌・悲歌・挽歌(希: ἐλεγεία, エレゲイア、英: elegy) - 6韻脚と5韻脚の組み合わせ。笛を伴奏とする。
    • 風刺歌(希: ψόγος, プソゴス、英: psogos / 希: ἰαμβεῖον, イアンべイオン、英: iambic)
    • パローディア(希: παρῳδία、英: parody) - 滑稽化叙事詩。『蛙鼠合戦』など。
  • 抒情詩(希: μελική, メリケー、英: melic / 希: λυρική, リュリケー、英: lyric) - リュラ(λύρα、竪琴)の伴奏で謳われたことから。
    • 頌歌(希: ἐγκώμιον, エンコーミオン、英: encomium / 希: ᾠδή, オーデー、: ode)
  • 劇詩(希: δράμα, ドラマ、英: drama)
    • サテュロス劇(希: Σατυρικό δράμα ) - 悲喜劇の一種。
    • 悲劇(希: τραγῳδία, トラゴーディア、英: tragedy)
    • 喜劇(希: κωμῳδία, コーモーディア、英: comedy)

などがある。

詩人(ポイエーテース)は基本的に上記の分類に沿って「〇〇詩人」と表現されるが、叙事詩の詩人に関しては、歴史的に

  • 吟遊詩人(希: ἀοιδός, アオイドス、英: aoidos)
  • 吟誦詩人(希: ῥαψῳδός, ラプソードス、英: rhapsode)

という区別がある。

 

アリストテレスの認識

アリストテレスの師であるプラトンは、『ソクラテスの弁明』『イオン』『国家』第10巻などで述べているように、詩(創作)の魅力は認めるものの、それは「弁論術」「論争術」「ソフィストの術(詭弁術)」や「絵画の術」と同じように、対象の真実についての知識や技術を持ち合わせないままそれを(感覚・感情・快楽を刺激するように誇張的に)「模倣」(真似)して、人々の魂を誘導し、対象の真実から遠ざけていってしまうものであり、また更にそれを扱う詩人(作家)の中にも、弁論家・ソフィストと同じようにそのことに無自覚で、それらの術を以て知りもしないことを知っていると思い込んでいる傲慢な者が少なからずいるとして、批判的に扱っている。

 

 

それに対してアリストテレスは、『弁論術』の場合と同じく、プラトンの考え方を引き継ぎつつも、それを肯定的に捉え直そうと努めている。すなわち「模倣」(再現)を行い、「模倣」(再現)によって学び(真似び)、また「模倣」(再現)されたものを見て悦ぶというのは、人間の本性に根ざした自然な傾向であるとして、詩作をそうした人間性質の反映の一種(「人間の営為」の「模倣」(再現))として捉え、その性質の完成という目的(テロス)に向けた発展過程として、詩作的営みの全体像を説明しようとしている(第4章)。したがって、本書『詩学』において、アリストテレスの関心と記述は専ら、詩作の最も発展成熟した形態としての「悲劇」とその構造分析に費やされている。

 

 

(ただし、『詩学』は本来は2巻構成で、「喜劇」について論じられていたと推測される第2巻が今日まで伝わらず散逸してしまっているため、アリストテレスの「喜劇」に対する評価や、「悲劇」と「喜劇」に対する評価の差は、正確には分からない。そこでウンベルト・エーコの『薔薇の名前』のように、「アリストテレスはひょっとしたら、「悲劇」よりも「喜劇」をより高く評価していたのかもしれない」という仮説に基づく文学作品も存在している。)

 

 

 

ダースちゃん、

もう疲れたニャン。。。。。。あしあとロボットあしあと叫びあしあと
 
 
もうしわけない、ヨーダレオ卿、
 
このくらいにしておくよ。
 
それでは、
 
太陽系第三惑星、
 
ダース塩ジッチャンによる、
 
『偽りの、フェイク喜劇ショー』
 
 
これにて、
 
しつれいいたします~~~叫びロケットグラサンキラキラワイン