皆さま、こんばんは~~~
2019年1月6日(日)、本日はケーキの日ということでございました。
1879(明治12)年1月6日、上野の風月堂が新聞に日本初となるケーキの宣伝を行いました。
東京日日新聞に掲載された広告は、
『文化は日々開けていき、すべてのものが西洋風になってきていますが、西洋菓子をつくっている人はいません。
そこで当店では外国から職人を雇ってケーキをつくり、博覧会へ出品したところ大好評でした。
ぜひご賞味ください。』
とのことだったそうです。
(ネット上記事の引用をさせていただきました。)
という経過で、上野風月堂が初めてケーキの宣伝を行った1月6日は、「ケーキの日」として記念日のひとつに制定されているとのことでした。
お、今日のヨーダレオ卿は、いい顔をしてますね。
(2019年1月6日午後8時40分頃のレオ卿です)
『今日は、大好物の、卵とシュークリームを食べたから幸せニャン~~~』
まあ、今日のレオちゃんは、猫バスのモードみたいですね。。。
さて、このブログでも、2017年1月6日にアップした際、このことを記載していましたが、さらに、その記事の中では、仏教を追求していた時期なので、大乗仏教について、次のような記述をしておりました。
以下、抜粋引用です。
~前文一部略します。
釈尊さまの時代の原始仏教とは全く異なる『仏教という宗教』が存在している、混合宗教の『大乗仏教』。
景教(ネストリウス派キリスト教)の研究をなされている先生方の中には、『弘法大師空海さま(宝亀5年(774年) - 承和2年3月21日(835年 4月22日)、讃岐国多度郡屏風浦(現:香川県善通寺市)で生まれ』、『伝教大師 最澄さま (767年 9月15日 - 822年 6月26日〈新暦〉) 法名 最澄 法号 福聚金剛 諡号 伝教大師(傳敎大師) 生地 近江国滋賀郡古市郷』が唐に渡ったのは、当時、ジパング国に伝播し広まっていた景教を学びに唐に渡ったのだと主張される方もいて、
本当に信じられない話ですが、当時の唐はキリスト教(ネストリウス派)全盛時代だったようですね。
(以下参考に、キリスト教読み物サイトの大乗仏教におけるキリスト教の影響からの抜粋、その他大乗仏教、真言密教サイトなどから、アットランダムに引用いたします。申し訳ございません)
中国では唐の時代に、「景教」(ネストリウス派キリスト教)が伝えられ、その信仰が広まっていました。635年に、ネストリウス派キリスト教徒アラボンは、21人の信徒を率いて中国に渡り、聖書や教理を漢文に訳して、唐の皇帝(太宋)に献納しました。皇帝は、それを読んで感激し、
「これほどの真理は儒教にも仏教にもない。朕(私)自ら信じるから、全国民よ、朕に学べ」
と命じました。このネストリウス派キリスト教が「景教」で、景教は7世紀から12世紀にかけて、中国で栄えました。
日本に景教が正式に伝えられたのは8世紀で、この時より朝廷の記録に、景教の用語である「景福」という言葉が出てくるようになります。またこの時より、もともと仏教にはない「滅罪」思想がうたわれた「懺悔滅罪寺」が現れます。これは、キリスト教の影響と思われます。
今も毎年宮中で演奏される雅楽の「越天楽」(えてんらく)は、「ペルシャから伝わった景教の音楽です」と日本雅楽会会長・押田久一氏は断言しています。
さて、9世紀に「空海」は、中国(唐)へ渡って真言密教を学びましたが、この「真言密教」は、当時中国に影響を与えていた様々な宗教の混合宗教でした。真言密教の立宗者(不空三蔵)のいた中国の首都・長安では、当時、景教寺院、仏教寺院、ゾロアスター教寺院、道教寺院などが、軒を並べて建っていたのです。
真言密教の内容は、明らかに仏教とは異なるもので、そこにはゾロアスター教や、景教、バラモン教などの影響が歴然としています。
空海自身、中国にいたときに、景教に触れる機会がありました。空海は、景教徒の般若三蔵(はんにゃさんぞう)という人物に会い、景教の知識を吸収しました。般若三蔵は、「大秦寺」(だいしんじ)という景教の教会を営んでいた人物です(大秦とはローマ帝国のこと)。
次に高野山に真言密教を創建した空海として
803年、空海(弘法大師)は最澄と共に入唐し、景教を身につけ、潅頂(頭に潅ぐの意で、 キリスト教の洗礼)を受け、「遍照金剛」という洗礼名を受けました。「あなたがたの光を人々の前で輝かせ」という、マタイ5:16の漢語聖書からとったものでした。
彼は帰国後、高野山に真言密教を創建します。
空海は新約聖書を持ちかえり、最澄は旧約聖書を持ち帰ったということです。
しかし、二人は喧嘩してしまいます。
最澄は天台宗を創建し、空海は真言宗を作るわけですが、 彼の仏教は釈迦が説いた原始仏教とは似ても似つかぬ教えで、「景教と混合した仏教」でした。
また、別サイトから参考に、真言密教が景教の影響を受けていると思われる点を以下にピックアップしますと。
(1) 現在でも高野山の僧侶の方々は、真言密教に景教の影響が強いことを認めている。
(2) 高野山では、いまでも儀式の始めに十字を切る。
(3) 高野山奥の院御廟前の灯篭に、景教の十字架がついている。
(4) 空海は唐から帰る際に新約聖書の漢訳を持ち帰り、それはいまでも高野山の宝物庫に保管されている。
(5) 真言宗の儀式にある灌頂(かんじょう)は、キリスト教の洗礼そのものである。
(6) 空海が唐で灌頂を受けたのは、日曜日だった。
等々。
若き空海は、景教が説くイエスの教えに少なからず影響を受けたのではないかと考えた方々は多くいらしゃいますね。
故司馬遼太郎先生もその著『空海の風景』で、弘法大師空海先生の景教の影響を重要視されているようでした。
なお、東西交流の観点からすると、仏教とキリスト教の混在はすでにインドでは紀元後西暦150年~250年頃には、ちょうどインドにキリスト教徒が爆発的に増えつつあった時代だったので、
インドの高名な宗教学者アーマンド・シャー博士は、「キリストの使徒トマスの福音に対抗して、釈迦を聖人から救い主に昇格させたのが大乗仏教である」と言っているようです。
ここで使徒トマスとは、イエスの12使徒の一人だった人物で、聖トマスはイエスの死後インドまで赴いて宣教し、そこで殉教したとされています。
釈尊さまのインド哲学がイエス様に影響を与えたのか、ネストリウス派キリスト教(景教)がジパング国大乗仏教に大きな影響を与えたのか、
原始仏教、上座部仏教、大乗仏教を研究しているものではないので、断片的に仏教関係の書物からや、ネット情報を駆使しているだけなので何とも申せませんが、
少なくともシルクロードルートを通って流れこんだ、キリスト教(景教)、ゾロアスター教、バラモン教などの相互交流が、中国、韓国を経て、東方のジパング国の大乗仏教導入に大きな影響を与えたということは否めないということですね。
と記述しておりました。
高野山では、盛んに、新約聖書が読まれていたと聞いておりますが、密かに、真言宗はキリスト教化された大乗仏教と揶揄する方もいらっしゃるようで、
太陽系第三惑星の一生命体として、人類の東西交流の歴史は、この137億年宇宙の多様性そのものなのだなと考えてしまう、ハゲジッチャンのシオジー、
ダークサイドで生きる者には、仏門という世界が光り輝いているように映ります。
それでは、
おやすみなさいませ~~~
-------喜多郎(シルクロード)-------