ベッドにダニがいるっぽいので、掛け布団をシーツがわりにし、上着を着て寝ました。激さむです。

なんとか起き出して、街歩きです。あんまりやる気が起きません。快眠じゃなかったからかな。


ホアロー収容所に行きました。
19世紀末にフランスにより作られた刑務所です。多くのベトナム人が収容され、拷問や処刑が行われました。とても悲惨な歴史です。



フランス軍撤退後は、ベトナムによりアメリカ軍捕虜を収容する施設として運用されました。これもかなり厳しい環境だったようです。簡単に言葉では表せません。2008年のアメリカ大統領選挙でオバマ氏と争ったジョン=マケイン氏もここに収容されていたそうです。

当時の収容所の3分の2は壊され、高層ビルが建っています。それでも3分の1は残され、内部が公開されています。



視覚的にとてもわかりやすいです。集団房、独房、懲罰房など。陰鬱です。




ギロチンもありました。フランスが絡むと必ずギロチンが出てきますね。





フランスがいかにベトナム人に酷い扱いをしたかということがたくさん書いてありました。
しかし、フランス撤退後については何も記載や展示がありませんでした。そういうものなんでしょうが、それでいいんですかね?


続いて、ロンビエン橋に行きました。
徒歩で渡ってはいけないことになっています。やろうと思えば渡れるそうですが。


ハノイの外港と街中を結ぶ交通の要衝です。ベトナム戦争中は市内の補給に欠かせない橋でした。
そんなわけで、戦争中は何度も空爆での破壊と補修を繰り返したそうです。一本の橋ですが、いかに重要かがわかります。

そう言えば、ヘミグウェイ「誰がために鐘は鳴る」も戦争で一本の橋を破壊することに命をかける話でした。橋って大事だ。


歩くのがしんどくなったので、宿に戻って色々な事務作業をしました。宿も居心地悪いけどね。


実は隣のベッドのおじちゃんが日本人です。ちょっとヤバめの人かと思って関わらずにいたんです。夜中に爆音でYouTube流してたんでクレームさせてもらっていました。
こちらが日本人ということで、宿で作業していたら話しかけてくれました。話したら少し仲良くなれました。日本語が話せるアメリカ人の青年も加わり、アメリカのチョコもいただきました。ありがとうございます。


おじちゃんの話によると、街の中心から少し外れるとビールが1杯44円で飲める店があると。
ほんとかねえと思いつつ行ってみたら、ありました!これは爆上げ。付近のこれまた安い食堂でご飯を食べ、ビールタイム。



4杯飲んでお腹いっぱいになりました。久々におかわりおかわりでビールが飲めました。180円にもなりません。天国かい。

帰っておじちゃんに礼を行って、フロントでもう一枚布団をもらって寝ました。こんなにクソ宿なのにフロントのスタッフはいい人なんだよなあ。