本日はとっても重たい日です。ポル=ポト関連の場所に行きます。


1976年から79年にかけてカンボジアで実権を握ったのは、ポル=ポト率いるクメールルージュというグループでした。

内戦に勝利したクメールルージュは権力を独占しました。
極端な原始共産主義を断行し、貨幣や私有財産、学校や西洋の医療は廃止されました。すべての国民を農村に強制移住させ、厳しい農作業にあたらせた結果、多くの国民が過労や飢えにより亡くなり、あっという間に政策は破綻しました。
また、少しでも知識がある者は反逆の可能性があるとし、教養や専門知識のある者、少しでも疑わしいと思われた者は次々と逮捕、拷問、処刑されました。
クメールルージュ支配下において、カンボジア国民の4分の1が亡くなったとも言われています。


予習として前日の夕方に「最初に父が殺された」というネットフリックス映画を見ました。突如としてクメールルージュの支配が始まった中、なんとか生き延びる少女の話です。もちろんしんどいです。時代背景がしっかり頭に入りました。





前置きが長くなりましたが、トゥール・スレン虐殺博物館に行きました。
音声ガイドを聞きながら見学します。



ここは元は高校だった建物を収容所として使用し、逮捕者に対して連日すさまじい拷問が繰り返された場所です。
もちろん逮捕者で実際に罪を犯した人はほとんどいません。

この場所には2万人もの人が収容され、生き延びたのはたったの12人だけです。12人以外はすべて残虐な拷問で罪の自白を強要されたうえ、処刑されました。

庭には14基の墓があります。ベトナム軍がクメールルージュを敗走させ、この場所に来たときに残っていたのが14名の遺体でした。身元のわからないその遺体が埋葬されています。



建物内はものすごくむごい様子がそのまま残っていました。拷問部屋には鉄製のベットと排泄物用の箱がありました。ベトナム軍が撮った生々しい遺体の写真も掲示されていました。



そのほか、独房や集団房もそのまま残っていました。
あまりにも、あまりにも人間の尊厳が踏みにじられていることがよくわかります。

拷問の仕方や道具なども詳しく解説されており、鳥肌が止まりませんでした。
3時間弱、じっくりと見てまわりました。



この歴史を後世に伝えるための慰霊碑です。手を合わせました。周りのプレートは亡くなった人びとの名前がたくさん記されています。もちろんわかる範囲です。




食欲は湧きませんが、すぐに次の場所に向かう元気もないので、安い食堂で頑張って昼を食べました。
もう1か所、行かなければいけません。




キリングフィールドに行きました。正式にはチュンエク大量虐殺センターといいます。



トゥールスレンに収容された人たちは、少し離れたチュンエクという村に連れてこられ、そこで処刑され、埋められました。

慰霊塔です。中はこれ以上入りきらないほどの頭蓋骨が安置されています。すべて敷地内に埋まっていたものです。



処刑場所は、なんでもない果樹園です。恐ろしい場所です。




敷地内にはたくさんの穴があります。遺体を掘り返したままになっています。今でもたくさんの遺体が埋まっていると思われ、大雨が降ると表面に出てくることがあるそうです。
池の下にも埋まっていると考えられます。
これ以上掘り起こさないのは、安置する慰霊塔が既にいっぱいなのと、無理に安らかな眠りを邪魔することはないと考えているからだそうです。




安置されていない遺骨です。



450体という大量の遺体が見つかった穴や、首のない166体の遺体が見つかった穴もありました。首がないのは見せしめのためと考えられます。


キリングツリーと呼ばれる木は、赤ちゃんの頭を打ちつけて殺した場所です。幼児も子供も関係ありませんでした。



マジックツリーと呼ばれる木は、スピーカーを取り付けて大音量で音楽を流していた場所です。この場所が処刑場だとわからないよう、人々のうめき声や叫び声、処刑の音をかき消す意味がありました。



小さな博物館も併設され、処刑に使われた道具が展示されていました。
なんてことはない農業用の鍬や斧です。これで頭を殴りつけ、鋭利な気のかけらで首を切ってとどめをさしたそうです。
弾丸は高価なので、銃は使わなかったとのことです。


出口付近には、子供を抱える母の像です。



ここでも音声ガイドを聞きながらたっぷり見学し、帰りました。


覚悟していたことですが、とてもしんどい日になりました。しかし、旅に出る前から絶対に来なければならない場所だと決めていました。
改めて、こんな悲惨な、絶望的なことが起こっていいわけがなく、しかし現代でも虐殺が起こっていることを自覚させられました。
少しでも平和な世界を実現できるよう、少しでも人々が幸せに生きていける社会にできるよう、一人ひとりが少しずつ力を使わなければいけないんでしょう。自分ももちろん、そこに貢献できる人間であらねばならないと思いました。