29日は朝から鉄道の旅です。スラカルタからジャカルタまで「こだま」っぽいやつで8時間ちょい。
7時間で行ける「のぞみ」っぽいやつもありましたが、料金は倍でした。

電車に乗る前に朝食をと思い、2日前と同じ駅前の屋台に行ったら、すぐに「Ohno〜!」と迎えてくれました。
覚えていてくれたこと、嬉しい限りです。

あとはパンとスナックを買い、のんびり電車に揺られました。




夕方にジャカルタ着。4年半ぶりのジャカルタです。

スラカルタとの間には、仏教寺院遺跡のボロブドゥール及びヒンドゥー教寺院遺跡のプランバナンがあるジョグジャカルタ、また、1955年のアジア・アフリカ会議(別名バンドン会議)の会場があるバンドンという、訪れるべき2都市があります。
しかし、4年半前にすでに1人で訪れているため、今回は行きませんでした。
1人でなければ違った景色が見られると思いますが、同じシチュエーションで行ってもしょうがないかなと。

それでも移動を考えるとジャカルタは外せません。街の中央にムルデカ広場という大きな公園があり、その真ん中にモナスと呼ばれる独立記念塔があります。塔の先端は純金で炎がかたどられています。



宿からも近いので、ライトアップされている姿を眺めました。





翌日はジャカルタ市内を回ります。4年半前にしっかり見ていない場所を中心に。

まずはカリバタ英雄墓地。ジャカルタの南にあります。
第二次世界大戦直後のインドネシア独立戦争を戦い、インドネシアの英雄と見做された人々が眠っています。



短パンだったので、入り口で腰布を巻いて入場。警備員の方が一緒に来て案内してくれました。



ここに埋葬されている人は、インドネシア人だけではありません。宗教や人種も関係なく、ブロックごとにイスラム、キリスト、仏教などに分かれて埋葬されています。
独立戦争に参加した残留日本兵も埋葬されています。Wikiには27名と書いてありますが、警備員の方は日本人の墓は28基だと言っていました。
日本の首相や皇族が訪れることもあります。

日本人のエリアにも案内してくれました。全ての日本人がかたまっているわけではなく、仏教の区画内に点在していました。




非常に広く、綺麗で立派な墓地です。中央には大きな祭壇がありました。
近々セレモニーがあるとのことで、軍人の方々が予行練習をしていました。




その後、電車に乗って北ジャカルタのコタ地区へ。
以前も来ましたが、混みすぎていて全然見られなかったので、改めて来ました。

それにしても、以前は電車に乗るにも窓口に列になって並んで切符を買いましたが、いつの間にか電子マネーでの入場になっていました。便利なものです。
私はスマホのGojekアプリからGoペイというものを使い、コンビニで現金をチャージして使いました。

電車賃は約30円。助かりますね。


コタ地区は非常に空いていて、気持ちよく歩けました。
オランダ統治時代、ジャカルタはバタヴィアという名前で呼ばれていました。コタ地区はバタヴィア時代の建物がよく残っており、オランダを散歩しているようです。




旧市庁舎は歴史博物館になっています。
外国人の入場料がインドネシア人の5倍で、むかついたので入りませんでした。





オランダが作った跳ね橋です。船が通る時は開くようにできています。今は使われていないようです。



西洋の街並みがとてもいいですね。




電車で宿近くまで戻り、モナスとは別の独立宣言塔というところに行こうとしたんですが、閉まっていました。



思えば眠くて仕方ない。長距離電車でも寝たし、宿でも9時間くらい寝たんですが、それでもめちゃくちゃ眠い。
知らないうちにかなり疲れがたまっているようです。


東南アジア最大のモスクであるイスティクラル・モスクや、ジャカルタカテドラルなど、まだまだ見どころはあるんですが、以前行ったので、今回はやめておきます。
ジャカルタにはもう未練がないので、宿に戻ってのんびりすることにしました。