213cm,113kg,センター
1985年ドラフト1巡目全体3位、クリッパーズ指名
主な記録
https://www.basketball-reference.com/players/b/benjabe01.html
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クリッパーズで成長を期待されたビッグマン☆ブノワ・ベンジャミン
主にディフェンスとインサイドのプレーで知られている。213cmの長身を活かしたショットブロッカーとしての評価が高く、特にリムプロテクターとしての役割を期待されていた。ベンジャミンはサイズ、アスリート能力、スキルの組み合わせにより、当時のNBAで非常に高い評価を受けていたにもかかわらず、そのキャリアは一貫性に欠けるものだった。彼はリーグでの15シーズンで多くのチームを渡り歩くこととなったが、どのチームでも長期的なインパクトを残すことができなかったため、当初期待されたポテンシャルに達することは叶わなかった。
ベンジャミンのプレーに関する評価としては、サイズとスキルがあり、1試合に10ブロックを記録することもある。それにもかかわらず、モチベーションや集中力の面で一貫性が欠けていると指摘されることが多かった。時折、素晴らしいパフォーマンスを見せることもあったが、そのような活躍は持続せず、コーチやチームメイトからは不満の声が上がることもあった。しかし長いNBAキャリアをプレーした貴重な選手の一人といえる。
クレイトン大学
同大学では3年間プレーし、最終シーズンでは平均21.5ポイント、14.1リバウンドを記録しカンファレンスの1stチーム入りを果たした。ブノワもしくは「ビッグ・ベン 」のニックネームで呼ばれることがほとんどだった。この頃からベンジャミンは批判を受けていたといい、NBAドラフトで3位にて指名されたことは、彼にとって批判からの解放だったという。「何人かの人たちは、僕がハードワークしていないと言った。正しい人たちは、僕が何をしているかを知っていたということさ」Benoit Benjamin
クリッパーズ
クリッパーズにドラフト指名された。契約金は4年間で350万ドルとなり、これは当時ではルーキーが結ぶ契約としては破格のものであった。1年目から平均11ポイントを記録。2年目からはスターティング・センターとして30分弱のプレータイムを獲得した。しかし、弱小チームだったクリッパーズはこのシーズン、70敗を記録した。シーズン中、ベンジャミンは試合と練習に行く以外は家から出ず、巨大な水槽を見つめていたという。
4年目がキャリア最高の年となり、シーズン平均16.4得点、8.8リバウンド、2.8ブロックを記録した。しかし、このシーズン中でさえも、彼のプレーに対して批判が集まることがあったという。「彼はそれほど熱心だとは思えない。体重が250ポンドから245ポンドなら、プレーする準備はできている。そうでなければ、同じことの繰り返しだ。去年の夏のある月に電話したら、彼は245ポンドだと言った。しかし、キャンプに現れた時は270ポンドだった。彼が245ポンドだと主張するなら、体重計を持って行った方がいい。彼がゲームに真剣に取り組み、上達するのを見たい。本気なら、夏にトレーニングするはずだ」Don Chaneyヘッドコーチ
1988年1月のバックス戦の後、テレビアナウンサーのディック・ヴァイタルが有名なコメントを残した。「彼の背番号はダブルゼロだが、もうひとつゼロを追加すべきだ。彼の攻撃的態度にはゼロ、ディフェンス意識にはゼロ、そして精神的態度にもゼロを与える・・・彼はバスケットボールユニフォームを着たことのある全ての人に対する絶対的な恥だ」Dick Vitale
クリッパーズでの6シーズンで彼が達成したブロック数はチーム歴代2位となった。それにも限らず、ベンジャミンには観客から多くの罵声を浴びせられるなど、ストレスの溜まる環境だったことは間違いないだろう。しかし、罵声に罵声で返したり、卑猥とされるジェスチャーをして返すなど、精神面も問題視されていた。そんな中でもクリッパーズは5年1,600万ドルという、破格の契約を結ぼうとし、多くの関係者を不思議がらせた。ベンジャミンはその申し出を断った。
6年目のシーズン途中、ソニックスへとトレードされた。(ベンジャミン+オルデン・ポリニス+ドラフト1巡目指名権⇔1巡目指名権)
移籍以降
ソニックスではショーン・ケンプ、デリック・マッキーと合わせて、「the front line of the future(未来のフロントライン)」と呼び、その可能性を期待した。ベンジャミンはシーズン平均14ポイントを残すものの、そこでも「彼は怠けている」や「ピック&ロールでのディフェンスが下手すぎる」など批判の意見が目立った。
ソニックスでは2年間在籍した後に、トレードされることとなった。以降は、ネッツ、シクサーズ、キャブスなど多くのチームを渡り歩き、35歳でNBAからは去り、その後は約2年間、アルゼンチンやプエルトリコなどのリーグでもプレーを続けた。
引退後
引退後の情報は不明(ご存じの方はぜひ、教えてください♪)ベンジャミンの娘はテキサスA&M大学でプレーしていた。