1984年ドラフト1巡目2位で指名され、あのマイケル・ジョーダンより前にドラフトされたということでも多くの人に名前を知られている選手。それがサム・ブーイです。

 

高校・大学と優れた選手として知られ、大学時代にはオリンピック代表にも選ばれる逸材。ルーキー時代の左足脛骨から始まり、2年には再び同じ場所を骨折。3年目のシーズンには右脛骨を骨折し、4年目のシーズンには再び右脛骨を骨折しました。彼の足がプレーできるレベルに戻るまでに約3年がかかりました。

 

ルーキーシーズンには76試合に出場し、10得点と8.6リバウンド、2.8アシスト、2.7ブロックを記録。All-Rookie-2nd-Teamにも選ばれ、将来を期待されていた選手でしたが、NBAキャリア10年の中でオールスターに出場することはなく、期待された才能の全部を発揮しきれなかったプレイヤーであることは周知の事実です。

 

そんなブーイについて記事を漁っていたところ、2012年にESPNにて「Sam Bowie doesn't ask 'what if?」という記事が掲載されていたのを発見しました。他人の人生の一部を切り取ってブログで紹介している身からすると(営利目的ではありませんが)、非常に興味深く、また気を付けなければいけないと思い直すような内容だったのです。

 

<<記事の簡単な概要>>

ブーイの12歳になる息子が父についてググった。すると『マイケル・ジョーダン』、『グレッグ・オデン』、『ドラフト・バスト』という言葉が多数出てきた。息子は父に意味を尋ねた。ブーイは過去幾度となく自分がNBA史上最悪のドラフト指名選手だという議論の的になっていたことを知っていたが、釈明するつもりは無かった。しかし、息子には本当のことを伝えなければならない。

 

息子は語る「父は2本の足を骨折しながら、NBAで10年間プレーした。他の選手なら辞めていただろう。父さんはダメじゃない」

 

この記事はブーイと息子の物語がメインではなく、ブーイの経歴や彼を見出したスカウトのステュー・インマンについてや、ジョーダンのドラフト時の評価などが語られます。

 

そして、1995年にはブーイが引退宣言をした4ヵ月後にブルズから連絡が入り、バックアップセンターの候補としてトレーニングキャンプに呼ばれていたという驚くべき話になっていきます。これはマイケル・ジョーダンがブーイの怪我を克服する姿に感心したという経緯があり、彼を仲間にしようと考えたからでした。残念ながらブーイの引退は覆らなかったようです。

 

私がこの記事で気づかされたのは、選手を語る際に選手の子供や親、友人が彼らの評価を見てしまうこともあるよね・・・ということでした。もちろんブーイが私のブログを見ることは無いでしょうが、まわりまわってそれらの声が人を傷つけることもあるんだなということです。私は選手たちの過去の評価や実績、出来事について強い興味がありますので、これからも紹介し続けたいと思っています。しかし、怪我やその才能が発揮しきれなかったからといって、プロにまでなれた彼らの偉大なる歴史は、NBAを愛する人にとって敬意が必要なんじゃないかと、改めて思い直しました。