登録選手一覧

 

 

 

 

 

ドラフト指名

 

 

・1巡目全体16位

ジョン・ストックトン (ゴンザガ大学)

 

 

このシーズンはNBAがまだドラフト10巡目まで指名できた年でしたので、全員で9名もの選手をジャズはドラフトしました。その中で唯一、ジャズでデビューを果たしたのが歴史に残る名ポイントガードのジョン・ストックトンでした。

 

 

 

 

 

 

ジョン・ストックトンのドラフト秘話

 

この時、ソルトパレス会議場に集まっていたジャズファンたちからざわめきが起こり唖然とされるほどに、ストックトンは無名な選手だったのです。

 

元ジャズのGM兼監督だったフランク・レイデンによると、当初狙っていたのは同じポイントガードのジェイ・ハンフリーズだったといいます。

 

190cmのポイントガードであるハンフリーズはフェニックス・サンズに13位で指名され11年間をNBAでプレーしました。後にジャズへと移籍した際にはストックトンのバックアップとして活躍しましたので、縁の深い関係だといえます。

 

ジャズは当時のスターティングポイントガードだったリッキー・グリーンのバックアップを求めていました。結果としてはハンフリーズの代わりとして思わぬ高順位で指名されたということになります。しかし、後に全ての低評価を覆した伝説的な司令塔になるとは、この時には誰も予想できなかったでしょうね。

 

 

1984年当時のインタビューも踏まえた貴重な映像

 

 

 

 

ストックトンのNBA加入までの経歴

 

ジョン・ストックトンは1962年にスポーケンという都市で生まれました。

 

ダイヤオレンジスポーケンについて

 

ワシントン州にある人口約23万人の中規模商工業都市です。ロッキー山脈の西麓に位置し、自然の豊かさで知られています。治安は比較的良いそうです。日本では兵庫県にある西宮市と姉妹都市となっています。

 

 

 

 

父であるジャックと母のクレメインタインの元で生まれました。ステーブ、ステーシー、リーンと4人の子どもたちの内の1人として育ちました。また、祖父であるヒューストン・ストックトンは1920年代にプロフットボールリーグで4年ほどプレーしていた選手でした。

 

クレメンタインは2006年に、ジャックは2017年に亡くなっています。

 

ジャックはジョン・ストックトンの母校であるゴンザカ・バスケットボールのファンが集う拠点として、名所となっていたバー「ジャック&ダンズ・タバーン」を営んでおり、ユタ・ジャズのファンも多く来店する場所だったそうです。

 

ジャズの公式Twitterでは、この出来事にたいして「ジャックはジャズ・ファミリーの大切なメンバーであり、彼の喪失は多くの人が感じていることでしょう。私たちの思いと祈りは、ストックトン家の皆さんと共にあります」とコメントしています。

 

 

 

 

 

 

アイダホ大学からもオファーが来ていたストックトンですが、地元のゴンザガ大学へと進みました。

 

 

 

 

 

監督であるジェイ・ヒロックの元でメキメキと成績を伸ばしてたストックトンは、4年生時には所属するカンファレンスの最優秀選手賞を受賞しています。これはゴンザガ大学の選手としては初となる栄誉でした。

 

<ゴンザガ大学でのスタッツ>

 

 

ダイヤオレンジ小話

 

雑誌DUNK SHOOTのネットサイトの"THE DIGEST"にて学生時代の興味深い情報が載っていますのでご紹介♪

 

 

 

学生時代の最終年には1984年のオリンピックチームに招待された74人の選手の内の1人となりました。最終20人までに残りましたが、次の2次選考でカットされてしまいました。

 

この時にカットされた選手にはチャールズ・バークレーやテリー・ポーターら後にNBAでもオールスターとなるメンバーがいました。

 

また、この時には後のチームメイトとなるカール・マローンと出会っています。

 

 

 

 

開幕戦

 

開幕戦となった1984年10月26日、その日はジョン・ストックトンのデビュー戦にもなりました。

 

シアトル・スーパーソニックスと対戦し、ストックトンはベンチからベンチから17分間の出場で2リバウンド、5アシスト、2スティール、4得点を記録しました。

 

 

最初の方に流れるプレー集の対戦チームがソニックスのため、恐らくデビュー戦の映像と思われます

 

 

 

 

ダントリーとの再契約に合意

 

ジャズで6度のオールスターに出場し、2回の得点王にも輝いたエイドリアン・ダントリーが開幕から数日たった1984年11月9日に再契約となりました。

 

この日すぐに試合に出場したダントリーはいきなり33得点を記録し、チームを勝利に導きました。

 

安心したのもつかの間、わずか3試合後のフェニックス・サンズ戦で怪我をしてしまいました。その際にニュースでは小指を骨折したのでは噂になりましたが、結果はねん挫だったようで8試合の欠場に留まりました。

 

 

 

 

 

 

巨神兵器、イートンの鉄壁ディフェンス

 

ヒューストンのラルフ・サンプソンは24点だったが、彼とアキーム・オラジュワンは、7-4のイートンにディフェンスで負け、6本のショットをブロックした。

--1984年11月24日 New York Times記事より

 

後に歴代屈指のセンターとなるアキーム・オラジュワンもまだこのシーズンは新人です。先輩からの受ける試練の時代があったのかもしれませんね。

 

224cmの守護神、マーク・イートンはこのシーズンもブロックを量産しシーズン平均5.6ブロックでタイトルを取りました。また、このシーズンには最優秀守備選手賞にも選ばれています。
 

そして、このシーズンだけで4度のトリプルダブルを達成しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ダイヤオレンジ続く...