ニック・ヴァン・エクセル

 

185cm/77kg

ドラフト:ロサンゼルス・レイカーズ(1993年ドラフト2巡目全体37位)

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主な記録はこちらから

 

https://www.basketball-reference.com/players/v/vanexni01.html


 

大学時代/University Of Cincinnati

 

勉学の成績の関係により希望の大学でプレーできず、2年後にシンシナティ大学へと編入した。3年生時にはクリス・ウェバー率いるファブ・ファイブに敗れたが、ファイナル・フォーにまで進出した。4年生時にはエリート・エイトまでチームを昇格させるほどの結果を残したことが評価され、オールアメリカンチーム(3rd)に選出された。

 

童顔で可愛いのは生まれつき

 

 

Los Angeles Lakers時代(1993-94~1997-98)

 

その実力からいえば、ドラフトではもっと高い順位で指名されてもおかしくはなかった。しかし、シュートが安定しないことが懸念されたこともあり、レイカーズに2巡目全体37位で指名された。

 

当時のレイカーズはマジック・ジョンソンの引退などにより、弱体化が懸念されていた。

 

ヴァン・エクセルはすぐにチームの中心選手となり、オフェンシブなプレーでファンを魅了し"Nick the Quick"との愛称で親しまれた。

 

しかし、素行の悪さやゲーム中に感情を爆発させてしまうことがしばしばあった。チームメイトであったシャキール・オニールなどから一緒にプレーをしたくないという批判が多数出ていた。

 

25歳、4年目の時には試合中にレフリーを暴行し7試合の出場停止および高額の罰金に処されることとなった。これはデニス・ロドマンが頭突きにより退場を受けた直後に起こった事件であり、ヴァン・エクセルの事件と合わせてスポーツマンシップに欠ける選手が多いということで非常に問題視されることとなった。罰金だけでなく、刑事告訴までするべきだとの意見もあり、ロサンゼルス・タイムズでも大きく取り上げられることとなった。

 

(参考)

https://www.latimes.com/archives/la-xpm-1996-04-13-sp-58076-story.html

 

 

コーチのデル・ハリスとは相性が悪く、関係も悪化していたこともあり、5シーズンをレイカーズにてプレーした後、トレードでナゲッツに移籍した。

 

若手の頃は、尖っていたこともあったのか問題児として見られることも多かった。

 

 

 

 

その他チームでのキャリア

 

移籍した当時のナゲッツは弱小チームであり、オフェンスの機会が増えたヴァン・エクセルはキャリア最高水準の記録を達成したが、チームをプレーオフに導くことは出来なかった。

 

キャリア13年、6チームに所属した。

 

 

その後、マーベリックスに移籍し2年目にはシックスマンとして活躍。

カンファレンス・セミファイナルではブレイザーズとの激戦を繰り広げた際、ベンチからの出場でシリーズ平均25.3得点、4.4アシスト、FG51%を記録しシリーズ勝利の立役者となった。

 

なお、マブスではレイカーズ時代のコーチであるデル・ハリスと再開しているが、ベテランの領域に入っていたヴァン・エクセルはチームを乱すことなくプレーした。

 

2003年のプレーオフで大活躍した試合のハイライト

 

 

その後、ウォーリアーズ、ブレイザーズ、スパーズと1年単位でチームを移籍し、引退となった。


 

フリースローの際にはラインより30cmも離れてシュートする独特の打ち方が定番だった。

 

 

一時は、悪童と呼ばれるなど喧嘩っ早い印象があったが、クラッチタイムに強いなど魅力的な面も多く、ファンは多かった。ドリブルの仕方などはルーキー時代にチームメイトとなったセデール・スリートに似ており、彼の影響を受けているかのように思える。(気のせいだろうか)

 

 

引退後のキャリア

 

2009年 テキサスサザン大にてアシスタントコーチを務める。

 

2010年 ホークスの選手指導員を務める。

 

2013年 バックスのアシスタントコーチを務める。

 

同年、22歳の息子が友人を殺害した罪で懲役60年の刑となった。息子であるニッキーによると、銃を持っていた際、弾が装着されていることを知らずに謝って撃ってしまったというが、その説明は十分ではないと判断され懲役となった。

 

2016年 グリズリーズのアシスタントコーチを務める。

 

2019年、グリズリーズにて

 

 

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トリッキーなプレーも魅力の1つだった