クリス・ウェバー

 

206cm/111kg
ドラフト:オーランド・マジック(1991年ドラフト1巡目1位指名)

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主な記録はこちらから

 

https://www.basketball-reference.com/players/w/webbech01.html

 

 

高校・大学時代/Michigan State University - Fab Five -

ウェバーは1987年から91年にかけてデトロイトカントリーデイスクールに通い、マジック・ジョンソン級の高校バスケットボールプレイヤーであると言われていた。

高校生時代は平均29.4得点と13リバウンドを記録しミシガン州のミスターバスケットボールに選ばれ、1990年~1991年の国立高校選手に選ばれた。また、マクドナルドとダッパーダンオールスターゲームの両方でMVPに選ばれた。
 

高校時代の画像

 

 

デトロイトカントリーデイスクールを卒業後、ウェバーはミシガン大学で2年間プレーした。
ウェバーが所属したミシガン大はNCAA史上初の新入生だけでチャンピオンシップに出場した凄いチームとなった。

ウェバーを中心に将来のNBA選手となるジュワン・ハワード、ジャレン・ローズ、ジミー・キングがおり、NBA選手にはなれなかったがCBAやフランスリーグでプロとして活躍したレイジャクソンもいた。彼らは脅威の5人という意味の"Fab five"と呼ばれた。

 

 

 

 

ファブファイブの功績とウェバーの失敗

2年連続のチャンピオンシップに出場し、これに勝てばNCAAチャンピオンとなる試合でウェバーはNCAA史上でも歴史に残る失敗を犯してしまう。まずはこの動画を見て欲しい。

 

ミシガン大時代のタイムアウト事件動画

 

試合時間が残り11秒というところで、ミシガン大は2点のリードを奪っていた。このまま勝利となるかと思われたがウェバーは既に使い切っていたタイムアウトを要求してしまう。これによりテクニカル・ファウルをコールされてしまい、相手側にフリースローのチャンスを与えてしまい、結果これが原因でミシガン大は敗退した。

 

この試合での事件の後、当時のアメリカ大統領であるビル・クリントンはウェバー宛に手紙を送ったことは有名な話である。
 

[参考]

On this day: Chris Webber called the timeout Michigan basketball didn’t have vs. UNC

 

 

その後、ウェバーは3年目を迎えることなくNBAドラフトへとアーリーエントリーした。

 

 

 

ゴールデンステイト・ウォーリアーズ時代 1993-94

 

大学時代の活躍もあり、ウェバーはマジックにドラフト全体1位指名された。しかし、ドラフト直後にペニー・ハーダウェイ+将来のドラフト1巡目指名権3つと引き換えにウォリアーズへとトレードした。

 

 

 

このトレードについては以下のサイトで詳細に紹介されています。

 

 

当時のウォーリアーズの監督であるドン・ネルソンは速攻を主体とした走力を武器にオフェンシブな戦略プランを立てており、ウェバーはネルソンの理想に近かったのだと思う。

 

 

 

ウェバーはルーキーとしては優秀な平均17.5得点と9.1リバウンドを記録し、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。チームは怪我人が多く、負けが確定したかに思われたがウェバーやラトレル・スプリーウェルらの活躍もあり、予想外にチームは勝利をおさめ誰もが想定していなかったプレーオフ進出の原動力となった。

 

 

ドン・ネルソン(ヘッドコーチ)との確執によりウィザーズにトレード

ネルソンとウェバーは不仲報道があった。

 

1:起用法でのトラブル

 

ウェバーのナチュラルポジションはPFだが、速攻主体を狙っているネルソンは彼をセンターとして起用した。90年代のセンターはオラジュワンを筆頭にスター選手が多く、正式なポジションで勝負をしたかった。

 

2:ウェバーの態度

 

起用法でのトラブルで不満を高めたウェバーは、公の場でウォーリアーズから気持ちが離れていることを語ってしまった。また、当時のウェバーは現在よりもやや性格が尖っていたのか、ヤンチャな振る舞いも多かったそうで、規律を重んじるネルソンとは相性が良くなかった。

 

ウェバーとネルソン

 

 

ワシントン・ブレッツ時代 1994-95~1996-97

 

ミシガン大で一緒にプレーをしていたジュワン・ハワードと同じチームでプレーすることとなった。

共に別々の年でオールスターに出場するなど実力のあるコンビではあったが、プレーオフで勝利することはできなかった。
 

 

 

シューズのCM、1996年

 

 

サクラメント・キングス時代 1998-99~2004-05途中

 

 

 

ミッチ・リッチモンド+オーティス・ソープとのトレードでキングスに移籍した。
 

キャリアでもっとも活躍したのが、キングス在籍時となるだろう。オールNBA1stチーム、リバウンド王などパワーフォワードとしての実力や人気は確率され、ウェバーが来るまで弱小だったキングスは強豪チームの1つとなった。
 

2000-01シーズン、ペイサーズとの対戦でキャリアハイの51得点を記録した試合のハイライト

 

 

 

 

トレイシー・マグレディと共に野外のコートでプレー、コマーシャルだと思われます。
 

 

移籍3年目、27歳には最高のシーズンを過ごしシーズン平均27.1得点と11.1リバウンド、4.2アシストでオールNBA-1stチームに選出された。

 

翌年にはキングスは優勝候補の1つとして61勝を記録し、プレーオフでは当時最強を誇ったレイカーズとカンファレンス・ファイナルで激戦を繰り広げた。これは事実上のNBAファイナルと言われ、実際のファイナルよりも盛り上がりを見せた。

 

 

 

キングス時代のハイライト動画

 

 

その他チームでのキャリア 2004-05~2007-08

シクサーズで2年プレーした後、ピストンズへシーズン途中で移籍した。
 

ピストンズではキャリア終盤を迎え、以前のようなスター選手としての成績は残せなかったものの、プレーオフでは25分程度の短い時間ながらスターターを務め、ベテラン選手としの評価を得た。
 

そして、キャリアの最終年となる34歳にはルーキー時代に過ごしたウォーリアーズで9試合プレーした後に引退を表明した。
 

常に#4を着用していたが、ピストンズでは#84を着用した

 

 

引退後のキャリア

2008年 TNTのバスケットコメンテータとなる(準レギュラー的)。同年から"NBA TV's NBA Gametime Live"にてケビン・マクヘイルらと共に火曜日の解説者を務める。
 

(左)ウェバー、(右)ケビン・マクヘイル

 

 

2009年 キングスにて#4が永久欠番となった。
 

同年、ウェバーがサクラメントで経営していたレストランが閉店となった。
同年、長年の恋人と結婚。アトランタにある家で200人を招待した個人式典を行った。
 

キングス時代の同僚、ディバッツといちゃつくウェバー

 

 

2010年、マニラで久しぶりに試合に出場する。(NBAアジアチャレンジの一環)
ウェバーの他にもゲイリー・ペイトンとグレン・ライス、ミッチ・リッチモンドら元NBA選手が参加した。

 

[参考]

Webber, Payton headline NBA Asia Challenge 2010

 

 

 

やや画質が悪いですがホワイトチームにはウェバーが、レッドチームにはペイトンがいます。
引退している選手が中心だからかグダグダとしていて前半くらいで視聴を断念しました。

最後まで見た方でオススメプレイあったよという方はぜひ、教えてください💦
 

 

2015年 ドラマの製作総指揮を務め「Somewhere」というロマンチック・ドラマを作成した。
 

2016年 ポットキャストを始める。
 

2018年 映画「アンクルドリュー」に出演する。

 

映画に出演し、おじちゃんと化すウェバー

 

 

動画集

 

ミシガン大からNBA、キングスでの永久欠番セレモニーまでキャリアを網羅した良作

 

 

キャリアベストプレートップ10

 

 

 

初代ドリームチームの対戦相手の1人として大学時代のウェバーが招待された

連携の取れていないスター軍団を相手に大学生たちは大活躍し、まさかの勝利を飾った

これがきっかけでドリームチームのスター軍団の闘志に火がついたのか、後のオリンピックで無双した

 

 

 

オフェンスのハイライト集