ハロルド・マイナー

 

196cm/95kg
ドラフト:マイアミ・ヒート(1992年ドラフト1巡目12位指名)

 

 

高校・大学時代/University of Southern California “USC”

カリフォルニア州イングルウッド出身で、高校生から既に有名だった。マイナーのダンク能力はマイケル・ジョーダンを彷彿とさせ、観客を沸かせるインパクトある派手なプレーから「ベイビージョーダン」というニックネームで呼ばれていた。

1試合で48得点と17リバウンドという爆発力を見せた試合まであった。

 

1枚目がマイナーの高校時代の画像

 

 

南カリフォルニア大学で3年間プレーした。同時期にはシャキール・オニールやアロンゾ・モーニングといったスター選手や当時のカレッジスターであるクリスチャン・レイトナーまでいたが、彼らを押さえてスポーツ・イラストレイテッド誌の年間最優秀大学バスケットボール選手に選ばれるほどの活躍をした。

 

 

USC時代の試合中のスラムダンク

 

 

NBAプレイヤーとしての時代 1992-93~1995-96

ヒートにてドラフト全体12位で指名された。

 

本家、ジョーダンとのマッチアップは観客を沸かせた。

 

 

スラムダンクチャンピオンにも輝いた。当時のチームメイトであるグレン・ライスとの写真。

 

 

1年目、2年目と控えから20分程度の出場であったが平均10得点を超える活躍を見せた。オフェンスでは非凡な才能を見せつつあったが、ディフェンスやアウトサイドでは活躍できず期待値を上回ることができなかった。
 

身体能力のみを武器としたプレーは次第にコーチから信頼を得ることが出来なくなり徐々に出場時間を削られることとなった。

ヒートに3年在籍したのち、キャバリアーズで19試合をプレーし引退した。
 

翌年にトロント・ラプターズのトライアウトに挑んだがプレシーズン中にカットされた。海外でプロ生活を送るという選択肢もあったが慢性的な膝の故障に苦しんでおり、引退することを決定した。
 

 

スラムダンクコンテスト優勝

1993年と1995年のオールスターでスラムダンクコンテストに出場し2度の優勝を果たした。これにより最高のスラムダンカーの1人として有名になった。
 

1993年のダンクコンテスト(マイナーの部分だけを抜粋した動画)。パワフルなダンクが人気。

 

 

 

1995年のダンクコンテスト(マイナーの部分だけを抜粋した動画)。前年度のチャンピオンであるアイザイア・ライダーを破って優勝した。

 

 

ベイビー・ジョーダンとしての苦悩

 

圧倒的な身体能力、そしてスラムダンクコンテストに優勝するなど選手として成熟する前に異様に期待値の高かった選手であった。NBAプレイヤーとして大成しなかったことで、そのプレッシャーに押しつぶされたのではないかという噂は多かった。

 

以下のサイトで詳細な記事が書かれていたのでご紹介。

 

 

 

 

 

 

 

引退後のキャリア

2011年 ラスベガスに定住しており、2人の子供と妻がいる。現役時代にマネーを投資などに使っていたため引退後も生活面での苦労はなく在宅での仕事が可能だという。

引退後のインタビューなど、メディアにでることには消極的なようである。しかし2010年、久しぶりに公の場に姿を現しインタビューに応じた。
 

2012年 大学時代のUSCにて#23が永久欠番となった。

 

 

※getty imageにてマイナーの画像を探すと、本当に素敵な笑顔で家族と一緒にいる写真が見れます。

貴重なオフショットだと思うので興味があれば探してみてください。

(getty imageは基本、有料の画像なので無断での使用にはご注意下さいね。見るのは無料です)

 

 

動画集

 

ジョーダンvsベイビー・ジョーダンの対決。粗削りであってもこれからもっと上手になったかもしれない。
6:38 ジョーダンから得点を決める。

 

アキーム・オラジュワンの上からダンク

 

 

 

ナイキのCMにダン・マーリーと共に出演

 

 

 

歴代でもトップ20のダンカーだと紹介している動画

 

 

大学でのハイライト