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https://www.basketball-reference.com/players/h/harpede01.html

現役時代
 

イリノイ大学にて3年間をプレーし、最終年にはオールアメリカン・2ndチームに選出されるなど、実力者として評価されていた。その結果、ドラフトでは11位でダラス・マーベリックスに指名された。

 

マーベリックスでは11シーズン目の途中でトレードされるものの、内6シーズンでチームをプレーオフに導く主力選手として活躍した。

 

1987年、ハーパーが26歳の時にはチームの最重要選手となりながら、プレーオフでカンファレンスセミファイナルまで出場した。

 

実力がありながらもオールスターには縁が無く、「オールスターに出場したことの無い中での最高のプレイヤーの1人」と呼ばれている。

 

マブスは徐々に弱体化し、結果ニューヨーク・ニックスにトレードされることとなったが、トレードされた年に初めてのNBAファイナルに出場した。ファイナルでの活躍はチームの中で最も安定的に活躍し、優勝していたならばパトリックユーイングを抑えてファイナルMVPを受賞するのではと言われた。

 

その後、37歳にはロサンゼルス・レイカーズでプレーし引退したが、ベテランらしい落ち着いたプレーで活躍した。

 

 

引退後

 

2005年、ダラスのスポーツニュースキャスターを務めた。

2018年、マブスにてハーパーの背番号12が永久欠番となった。

現在、マブスのゲーム解説者として参加している。

 

 

 

共にファイナルに出場したパトリック・ユーイングとの撮影。

ハーパーは右。

 

 

マブスでの永久欠番の式典。2:45から数分間ハイライトプレーあり。

 

 

1988年、ウェスタンカンファレンスファイナルでの最高のプレー。