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かんとれ!

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私は、少し前に銅鐸文化が、銅鏡と銅剣文化、および縄文文化によって滅ぼされたという内容でブログをアップした。


(過去のブログ【銅鐸は、銅鏡と銅剣と勾玉によって滅ぼされた】http://ameblo.jp/shinzuru/entry-11589639237.html



なぜ銅鐸文化は弥生時代に栄えて、弥生時代で滅んでしまったのか、その後もつらつらと考えている。




そもそも、銅鐸の起源はなんだろう。





一説には朝鮮半島から入ってきたという。



しかし、色々文献を調べると時代が前後しており、あまり信憑性がない。





他方、中国古代の「越」の貴族の墓から、陶製の日本の銅鐸に似たものが出土している。



ルーツが、「越」地域にあるということには、信憑性がありそうだ。







弥生時代は紀元前300年頃から始まるが、越は紀元前600年頃から興り、紀元前344年には滅亡している。



「越」は、黄河流域のいわゆる「漢民族」とはことなる「百越」つまり現在のベトナム人の祖先によって建国

された国である。文化風習も独特のものがあったと思われる。




ようするに、揚子江流域が銅鐸文化のルーツであるということだろう。





(つづく)



先日、テレビをみていたら、石鹸工場で働く82歳の工員さんが出ていた。


彼は、とても82歳には見えないほど、はつらつとしていた。



この石鹸工場の現場では、天然由来の成分を釜で炊き上げるため、常時40度の環境である。


若い人でも、熱中症にかかるこの現場で、彼はニコニコしており、表情が非常に明るい。


この道、65年と言っていたから、学校を出てすぐ、この工場に就職して、それ以来ずっとこの作業をしてきたのだろう。



彼のコメントがまた良かった。


「私は、この年まで好きな仕事をさせてもらって、非常に幸せ者です。」



こういう生き方ができるということは、非常に素晴らしい。




鴻臚館跡に行ってきた。



かんとれ!



かんとれ!


福岡城跡とほぼ同じ場所にある。


というよりも、鴻臚館跡に福岡城が建てられたと言うべきか。



過去の迎賓館に思いをはせることができた。



先日、福岡城跡に行った。

福岡に来て、5年になるが、初めて行った。


単なる公園になっていたが、感慨深かった。


かんとれ!


かんとれ!




私は、職場で「インスタントコーヒー」を良く飲む。





マイ・マグカップにティースプーン一杯すくって、お湯を注ぐだけである。





このインスタントコーヒーは、成分のほとんどが「大豆」なんだとか。





純粋な、コーヒー成分だけで、インスタントコーヒーを作ったら、耳かき一杯でも濃いコーヒーになるとのこと。



大豆粉に混ぜることによって、ティースプーンでサジ加減できるようになるのである。







この大豆粉のことを、「体質顔料」という。




本来の成分以外に、これを混ぜることによって、ボリュームをアップさせる機能を持つものである。







私の小さい頃の洗濯用洗剤は、50cmくらいの高さのある箱に入っており、洗濯層に、おわんですくって入れていた。



今は、スプーンのようなものでちょこっと入れるだけである。




当時は、洗剤に体質顔料を山ほど入れていたという証拠であろう。






このように、体質顔料はごまかしに使われやすいという、側面があることに注意が必要だ。






少し、視点を変えると、我々の職場でも、「体質顔料」をふんだんに使っている人たちがいる。




不要な書類に過剰なまでの神経を尖らせる社内官僚化した人たち。




社内の電子メール返信に時間を費やす、社内政治家化した人たち。






自分自身の仕事を振り返っても、無駄だと思うことが少なからずある。





費用対効果、結果がすべてという視点は非常に大事であるが、ここにもう一つ、「仕事の体質顔料を減らす」という視点も持ちつつ、仕事自体の質を高めていこうとおもう。



滋賀県の高島町で、双環柄頭(そうかんつかがしら)短剣の鋳型が発見された。





弥生時代につくられたもので、中国北方や内モンゴル自治区のオルドス式短剣に似ている。



日本の他の地区や朝鮮半島でも発見されたことが無いため、弥生時代の日本の各地域は、独自に他国

と交易をしていた可能性が指摘されている。






その一方で、同じ弥生時代に大量の銅鐸、銅剣などが発見されている。





これらが出土する地域は、大まかにグルーピングされており、それぞれ「銅鐸文化圏」「銅剣文化圏」などと呼ばれている。



実際、出土数の多い地域を単純にグルーピングしただけであるが、文化的繋がりが強いという点は否定できない。





「銅鐸文化圏」は関西地方が中心だ。一方、「銅剣文化圏」は九州地区が中心だと言える。



このうち「銅鐸文化圏」は、弥生時代の終焉とともに、突如終わりをむかえる。




新しい権力に、屈服させられたかのようである。




そう言えば、日本書紀や古事記にも、銅鐸の記載は全く無い。




ある時点を境に、歴史から抹殺されたのだろう。






ここにもう一つ、「銅鏡文化圏」がある。





「銅鏡文化圏」は九州北部と、関西地方が中心である。



銅鏡文化は、銅鐸文化が終わった後も、奈良時代頃まで続く。







これだけの事実からも、「銅鏡文化圏」が「銅鐸文化圏」を占領したということが想像できる。






では、「銅剣文化圏」はどうなったのだろうか。






手がかりは、「三種の神器」である。



「三種の神器」は、「鏡、剣、勾玉」から成る。




これから推察できることは、「銅剣文化圏」は、「銅鏡文化圏」と同盟して、「銅鐸文化圏」を攻め滅ぼしたというロジックである。




また、勾玉は「縄文文化」を象徴することから、「銅鐸文化圏」を滅ぼす際に、土着日本人の協力もあったのかもしれない。







いずれにせよ、「銅鏡文化」こそが大和朝廷の大王家につながるものなのだろう。

以前、私は「偉人伝」について調べてみるとブログで宣言した。





その後、少しずつ「児童向けの本」などを読んできた。




その中に、すがすがしい生き方をしたと感じる偉人がいた。




「伊能忠敬」である。






日本を測量してほぼ正確な地図を作ったとして有名な、江戸時代後期の人である。




その偉業は、あまりにも有名なので詳細は控えたい。





私が、注目したいのはそれまでの半生のほうである。







彼は、農家(名主ではあったが)に生まれ、6歳のときに母をなくしている。



その後、養子だった父について、家を移った後、商家の伊能家に婿養子に入る。




伊能家は、酒や醤油を扱う商人だったが、婿養子に入ったときには、経営が上手く言ってなかった。



しかし彼は商売を再建し、かなりの蓄財をしたようだ。





そして、その富を、寄付などの慈善事業にまわし、地域の人々の尊敬を集めることになる。



最終的には、帯刀を許され武士階級にまで取り立てられることになるのである。







ここまでの話を聞いただけでも、十分サクセスストーリーなのだ。



普通の人なら、これ以上のことは求めない。





しかし、彼は違った。



50歳になってから、息子に家督をゆずり、子供の頃からどうしてもやりたかった「天文学」の勉強に没頭するのである。





うずうずする勉強意欲を押えて、50歳まで後継者が育つまでキチンと家業をこなしたという点が、非常に素晴らしい。





そして、親子ほど年の違う先生である高橋至時に師事し、他のどの生徒よりも努力してその才能を認められるのである。



その後は、日本地図作成という偉業を残していく。







ここでの教訓は、人間は本当に好きなことをやらなければいけないということだ。




一方で、現在のおかれている立場などから、それぞれの持ち場で踏ん張らなければならないケースも多い。




伊能忠敬は、しっかり持ち場で踏ん張って、素晴らしい業績を残した上で、歴史に残る偉業を達成している。




非常に爽やかな生き方だと思う。




自分の「軸」について、つらつらと考えている。





自分は一体何者で、何をしてきて、何をしていきたいのか?



往々にして、哲学的な、抽象的な話に終わってしまいがちのこのテーマに、具体性を見出そうと試行錯誤してきた。





以前、ブログに紹介した「ストレングス・ファインダー」なんかもその作業の一環である。


それでも、「何をどうするか」という具体的なものは見つからない。





きっと、自分自身の掘り下げ方が足りないのだと、色んな本を読み、さらなる分析を試みてきた。



それでも、なお曖昧なのだ。。







先日、あるセミナーに参加した。




私のメンターと言える人が開催する読書に関するものだった。




その時の課題図書がこれだ。




My Credo/かんき出版
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読み進めていくと、具体的な自分のミッションを作っていくことができるという内容だ。





この本で、自分にとって重要な点に気づかされた。




ミッションは、「他人(社会)から見て、メリットがあるものでないと意味がない」と言うことだ。




だから、自分の中だけに答えを求めていても、「軸」はみつからなかったのだ。






とは言うものの、表面的な言葉を羅列しただけでは、ミッションは作れない。




やはり、自分の深い掘り下げは必要なのだ。




まずは、「マイ・ミッションだけを考える日」を設けて、「自分が他人(社会)に対して何ができるか」という観点から自分と対話してみよう。



前回のつづきである。




次に「②挑戦することから逃げないようなマインドを育てる。」という点を具体的に考えてみよう。



うちの長女は、よく「できない!」と大声を上げている。


「できない!」というということは、挑戦することから逃げているのだ。


もしくは、ちょっとやってみたけど、挫折してしまっているということなのだろう。


これは、何とかして「挑戦が楽しいことなのだ」とわかってもらうようにしなければならない。



「挑戦が楽しくなる」ものに何があるだろうか?


成功するとステップアップするようなもの。。。


そろばんや習字なんかも良いかもしれないが、ゲームやアスレチックなんかもしてみると良いのかも。


とにかく、小さい成功体験を積むことなのだと思う。




最後に、「③失敗を恐れず、失敗から学ぶ視点を持たせる。(失敗を直視する。)」という点も考えてみよう。



人間だれも失敗は避けたい。


くさい物にふたをするように、失敗したことは考えないようにする人が大半だろう。


しかし、なんで失敗したかとうことを逃げずに考え、二度と同じ過ちを繰り返さない人は強い。


かく言う私も、失敗から逃げてきた人間だ。


失敗から逃げないという選択肢に、ようやく気づいたといっても良いくらいだ。



逆に言うと、この能力が身につくと、「成功」に近づくことができるということなのだろう。


子供達が、失敗したときには、その原因を突き止め防止策を一緒に考えてみよう。


また、トランプやゲームをしているときに、子供たちに負けた原因を説明してやったりするのも一つの方法かもしれない。



。。と、まあ、つらつらと取りとめの無いことを書いてきたが、机上の空論になってしまっては意味が無い。


とにかく、これらの方策を具体的に実施していこう。



(完)

前回の続きである。



前回、子供たちに「永続的に成功する」ための教育方法を、具体的に考えてみるとアップした。



永続的に成功するためのポイントは、以下の3点だ。


①好きなことに没頭させる。(できれば職業につながるようなもの。)


②挑戦することから逃げないようなマインドを育てる。


③失敗を恐れず、失敗から学ぶ視点を持たせる。(失敗を直視する。)



さて、具体的に考えてみよう。



まずは、「①好きなことに没頭させる。」についてだ。


これは、子供たちに「やりたいことをやらせる」ということだが、単純にそうとは限らない。


子供たちは、自分に与えられたお手伝いや、宿題から逃れるために、ある遊びに、単なる気晴らしとして没頭することがあるからだ。


子供達が、目の奥を輝かせて、好奇心と興味を持って全身全霊をもってぶつかっていく「何か」を見つける手助けが必要なのだ。


とりあえず、いろいろやらさせてみるのも良いのかもしれない。



(つづく)