私は、少し前に銅鐸文化が、銅鏡と銅剣文化、および縄文文化によって滅ぼされたという内容でブログをアップした。
(過去のブログ【銅鐸は、銅鏡と銅剣と勾玉によって滅ぼされた】http://ameblo.jp/shinzuru/entry-11589639237.html )
なぜ銅鐸文化は弥生時代に栄えて、弥生時代で滅んでしまったのか、その後もつらつらと考えている。
そもそも、銅鐸の起源はなんだろう。
一説には朝鮮半島から入ってきたという。
しかし、色々文献を調べると時代が前後しており、あまり信憑性がない。
他方、中国古代の「越」の貴族の墓から、陶製の日本の銅鐸に似たものが出土している。
ルーツが、「越」地域にあるということには、信憑性がありそうだ。
弥生時代は紀元前300年頃から始まるが、越は紀元前600年頃から興り、紀元前344年には滅亡している。
「越」は、黄河流域のいわゆる「漢民族」とはことなる「百越」つまり現在のベトナム人の祖先によって建国
された国である。文化風習も独特のものがあったと思われる。
ようするに、揚子江流域が銅鐸文化のルーツであるということだろう。
(つづく)




