前回、日本の陰湿な「いじめ」には、「歌垣」の風習が影響しているという話をした。
今回もその続きである。
歌垣は、毎年行われた。村公認の「神に捧げるフリーセックス」の風習だったのだ。
そして、参加する若い男女も未婚者だけだったとは限らなかったようである。
つまり、夫婦の間には誰の子かわからない子供が生まれていた。
しかも、それはごく当たり前のことだったのだ。
家族の単位が、「村全体」だったと言っても良かった。
だから、「歌垣」には、よその村からの参加者は認められなかったようだ。
ようするに「村人」になるというのは、家族になるというのと同じくらいハードルが高かった。
古代日本で、村ごとに環濠集落を築いていたのも、こういう理由であれば納得できる。
また、明治時代に武士以外にも苗字が認められた際、多くの村では、村ぐるみで住んでいる土地の苗字をつけた。これなんかも、もともと村全体が親戚であり家族であるという意識があれば、自然なことだったのだろう。
そして、その村人の中に「奇行」を繰り返す人(仮にAとする)がいたらどうなるだろう。
他の村人はAの子供を自分の子供として育てる可能性があるため、Aを排除しようとする。
いわゆる「村八分」である。
「村八分」となった人間は、当然「歌垣」にも参加できない。
それは、村の遺伝子をより良く保とうとする本能的なものだったのだと思う。
(つづく)