情報化社会の溺死者 | かんとれ!

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相変わらず多読を続けている。


養老孟司先生の「逆さメガネ」とう本を読んだ。



養老孟司の“逆さメガネ” (PHP新書)/養老 孟司



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先生は、著書の中で、現代の若者の常識が変化しつつあると警鐘をならしている。








『知るということは、本質としての自分も変わるということです。それを大げさに表現するなら、自分が別人になる。若い世代には、その感覚が全く消えたということでしょう。自分という確固とした存在があって、それに知識が積み重なっていく。』





本当に先生のおっしゃるとおりだと思う。








知識をいくら蓄積しても、自分の本当の力にはならない。





時代や環境が変わり、その知識が意味の無いものになる可能性があるからだ。








しかし、単なる知識としてとどめておくのではなく、考えて完全に自分の知恵としたときには、人間は過去の自分ではなくなるのだ。





新しい、自分に生まれ変わったときには、価値観もかわり、それまでに蓄積した知識の一部は、意味のないものに変わってしまう可能性もある。








例えば、長期スパンでの投資技術を学んだ投資家が余命3ヶ月を告げられたとする。





彼にとって、もはや投資技術など意味をなさない。








いかに、余命を充実したものにするかを考えるはずだ。





もしくは、残される家族にできるだけのことをしておこうと考えるのだろう。








この時の投資家は、余命宣告を受ける前の人物とは全く異なる価値観を持つ人に変わってしまっている。





       +++++++++++++++








「確固たる自分」とは、なんだろうか?





自分は「変化しない」ということを宣言するようなものだ。








社会システムの中や自然界でも「変化」しなければ、大半が絶滅している。





人間は、「変化」しつづけるものなのだ。














古代中国の「殷」の時代に、湯王が使っていた青銅製の洗面台に、次のような言葉が刻まれていた。


















「 苟 ( まこと ) に日に新たに、日々新たに、また 日に新たなり





5千年間も、人は「変化する」ことが大切だと信じてきた。








その真実は、今後も絶対に変わらない。








「情報化社会」の中で情報の氾濫に溺れてしまってはいけないと思う。