貨幣は、人間に冨の蓄積をもたらしたと言われている。
それは、物々交換から始まった。物々交換していくうちに比較的貯蔵の効く穀物が貨幣のような仲介役を果たすようになった。
しかし、穀物も時間が経てば腐る。この欠点を補ったのが銀貨などの硬貨だ。
初期の銀貨は、銀含有率が100%に近く、一定のおもさを保っていたため信用があった。
そのうち、経済規模が拡大し銀の供給が追いつかなくなると、銀の含有量がどんどん減り、銀貨は本来の価値とは異なった「信用」という価値が付加されていくことになる。
この段階において、人類は真の意味での物々交換から脱却したといえる。
現在の紙幣は、その額面とは異なり、本来の価値は殆どないといって等しいだろう。
しかし、それらの貨幣は人類に時間や空間を越えて、価値の統一化を図り、富を蓄積することを約束した。
その根底に流れるのは、普遍的な「信用」という概念だった。。
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現代社会では、この貨幣の価値の意義が問いただされているような気がする。
インターネット等の普及により、世界中の時間と空間は驚くほど小さくなった。
その世界に多数の貨幣が存在し、「為替」というシステムにより「信用」が変動する。
また、見知らぬ人ともインターネットオークションなどを通じた「物々交換」が可能になってきた。
これは、貨幣本来の利便性を否定する動きだ。
本来、貨幣しか果たせなかった「信用」という部分がゆらぎ、富の蓄積という役割を、別のルートで果たせるようになってきたと言える。
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政治と経済が密接にかかわり切り離せないなど、乗り越えなければならない事柄は多いが、私は、いずれ全世界共通の価値を持つものが生まれると想像している。
それは、実態のある通貨ではないかもしれない。電子上に記録される世界中の個人個人が持つポイントのようなものかもしれない。
インターネットの普及により、世の中の動きが加速しつつあるため、このような世界共通の「新たな信用」の登場は意外と早くに訪れる可能性があると想像している。