カッパとEnglishman in New York(1) | かんとれ!

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Q21. カッパとは、妖怪ではなく呉(三国時代)の亡命者達のことだった?




へぇ~。かお



少し考えてみた。ひらめき電球






熊本県八代市に「カッパ渡来の碑」というものがある。



かんとれ!



「仁徳天皇の時代(313年~399年)に、9,000匹のカッパが、海を泳いでわたってきた。」と書いてある。




明らかに、カッパは渡来人であると言っているに等しい。




八代市に上陸するということは、朝鮮半島からのルートよりも、上海(中国湖南省)辺りから直接九州を目指したルートで来日したと考えるほうが、自然である。




また、9,000匹という数がすごい。




古代にこれほどの人数が危険を顧みず渡海するとなると、よほど大きな、王朝がひっくり返るなどの事件が起きたと想像される。




この時代の前後に中国で起きた事件とは、三国志で有名な「呉」の国の滅亡(280年)が挙げられる。




仁徳天皇の時代とは若干、年代は前後するが、仁徳天皇自体がいつに存在したかが定かでないため、あまり気にすることは無いのかもしれない。




三国時代の呉国の爪あとは、日本に結構残っている。




漢字の「呉音」や「呉服」などは、三国時代の呉で使われていた発音や、衣服のことを言う。




「呉服」なんかは、もはや「和服」と同じ意味といっても過言ではない。




       +++++++++++++++




カッパは、日本では「河童」と書くが、中国では「河伯」と書く。




「河伯」とは、一説によると、中国湖南省の湖沼地区に住む水上生活者のグループを指すと言われている。




彼らは、稲作を営みながら水上生活を続けていた。




米を主食にする民族は、塩辛い食べ物を好む。




そして、体が欲するのか、塩分を対外に排出する作用のあるカリウムの多い「瓜」系の食べ物も好む。まさに、カッパの好物が胡瓜であるという話につながる。




今でも、上海にいくと、若者が胡瓜ジュースや、胡瓜チップスを食べている。




また、河伯は、水にぬれてもすぐに乾くように髪を短く切っていた。




きっとオカッパ頭だったのだろう。中にはてっぺんが禿げて、それこそカッパの皿のようになった人もいたのかも知れない。




彼らは、水軍で名を馳せた呉国(三国時代)の中では、重要な役割を担ったのだと思われる。




そして、呉国の滅亡とともに、得意の航海術を駆使して日本に流れ着いた。




(つづく)