【第3973回】
今日は昨日の記事の補足をします。
昨日の記事では
経験が価値観に深く影響する
ということを述べましたが
その経験も、非常にリアルで
真実なものとして受け取られないと
意味がありません。
そのことをもう少し、
上手く言えないかなと考えていて
たまたま、非常に久しぶりに
サイコスリラー映画の傑作「セブン」を
見ていたら、そのような描写がありました。
定年間近の老刑事に対して
仕事に燃える若手刑事が
バーで会話をしているシーンです。
…
老刑事は、無関心が美徳の世間に
うんざりしながらも、実は自身も
無関心になりたがっていること、
無関心になりたい理由は、世間に
依存が蔓延して、犯罪や虐待が絶えず、
そのことが日常になっている
と会話しますが、
若手刑事は反論します。
それは、あんたが、仕事を辞める
口実にしているだけで
無関心で良いわけがない、
絶対にその意見には賛成しない
というわけです。
これこそ、価値観の違いというもので
この違いは老刑事と若手刑事の
経験の差から発生しています。
実際に老刑事は色んな出来事があった
ということを述べており、
若手刑事に対して、お前も
そのぐらいの経験があるだろう
と諭すのです。
僕も老刑事に賛成しますが、
若手刑事は同じように
世間を見ているはずなのに
そのことが彼にとって真実として
受け取られていないことが
決定的と言えます。
…
ネタばれはしませんが、結果として、
若手刑事はこの意味を知るだけの
経験をすることになるのです。
実際の人間関係でも聞かされることですが
理解しても手遅れ、というほどの
取り返しのつかない経験が来たら
どうしようもありません。
学問とはこうした悲劇を避ける意味でも
人間にとって必要だと感じます。
個人的な意見として
ご参考まで。