【第4361回】





助けを必要とする人は、自分が困窮しているのは

自分の落ち度ではないことを示さなければならないのだ。

公的支援を受ける資格を手にするには、自分では

どうにもならない力の犠牲者であるとして

自らをアピールし、また、自分でも

そう思い込まなければならない。

(中略)

つまり、社会福祉の受給者を、主体性に欠け、

自分の行動に責任を持てない人びととみなすレトリックだ。



(p.217「実力も運のうち 能力主義は正義か?」

 マイケル・サンデル 早川書房 2020年)




社会福祉は、ある程度その要素があると

僕にも思えます。


ただ、日本に住んできて、

実感としてあるのは


「自分の落ち度ではない」


ということを証明しなくても

ある条件に合致しさえすれば


十分な福祉が用意されている

ということです。


引用の本書の趣旨からはすこし

それるかもしれませんが、


もし、僕のこの意見が理解されれば

レトリックではなく、実際として


主体性がなかった結果だということが

できると思います。


もちろん、そのこと自体を責めません。


主体性を獲得できない環境、経験

というのがあって、

そういう人を救うことも重要だからです。


僕ら全員が運が良いとは限りません。


運悪く、主体性を発揮できなかった

ということも、一定程度理解が必要です。





昨日の記事では、現代日本の若者が


子ども時代の自由や享楽を保つために

成人後の暮らしを捨てている


という言い方をしましたが

先述の観点でいうと確かに


「捨てざるを得ない」のではなく

「捨てている」のが正しいと思います。


僕は就職氷河期の最悪の年に卒業していますが

その時、結婚、出産も経験していて


いまだに、金持ちではないにしろ、

お金に困る経験なしに暮らしています。


それは日本の福祉が機能していたからです。





より重要なのは、福祉制度も支援するサービスも

読解力なしに利用できないというところにあって


僕が大学を卒業していてよかったと感じるのは


書籍から直接独学する作法を

学べたことにあります。


つまり、読解力が身についたことで

あらゆるサービスを適切に利用できた


というところにあって、


逆に言えば、福祉制度が大学卒業レベルの

読解力を要するという、非常に悪い

欠点があるということでしょう。


細かな条件がないと

悪用する輩がいるのが根本問題ですが


いずれにせよ、読解力がないと

適切に制度を利用できないのですから


「自分が困窮しているのは

自分の落ち度ではない」


ことを示すしか他に方法がないわけであって

それは、ある程度正しい状態になります。


だからと言って、僕がそうした人を

バカにすることは決してありません。


運の問題でいえば、僕にも十分に可能性の

あったことだと実感しているからです。





何が言いたいかって、制度が

大学卒業レベルの読解を必要とするなら、


義務教育、無償化は大学卒業までが

妥当だろうということです。


なにも、良い就職や暮らしのためではなく、

最低限の保障を考えるのであれば


それもセットでないと意味がない

ということに過ぎません。


個人的な意見として

ご参考まで。