【第3928回】




最近、一般的な男性の会話を聞いて

少し戸惑ったので、そのことを述べます。


自分の車の話や、釣り、

マイホームの作りなど

話題がいくつかありましたが、


自分の本当に近い周辺のことが

気になっているのだろうと

思わされた反面、


それを無難な会話として

繰り広げている可能性もあると

考えたのです。


しかし、それにしては

そのことに集中して話していて


違和感がありました。





その違和感とは、会話の対象が

大人の行動範囲になっただけで


小学生の会話と質が何ら変わらない

ところにあるのです。


欲しいもの、やりたいこと、

それがごく個人的、かつ感情的で

なんら考察が入ることなく、


思ったままのことを疑いなく話して、

会話の相手もそれに同調しています。


行動の量や技術は上がったとしても

質という面で世の中に対する

洞察がありません。


真に苦労したり、挫折したことがない

と見ることもできますが、


そういう人たちが職業人として

世の中の中心にいると思うと


そりゃ、弱者に対して

虐待的になるだろうなと思うのです。





色んな立場の人がいて

色んな生き方がある、


それが世間の常識で生きていくと

どうでも良い話になります。


もちろん、いずれ、そのために

大きな挫折を味わうことも

あるとは思いますが、


そのころには、世間に影響力の

ない人として、なんの教訓も与えずに、

黙って死んでしまうでしょう。


そしてなにより、本当に優れた人を

認識できる素養が無いために


社会にとっての有益を、


個人的利益としてしか捉えない

大人ばかりになります。


残念ですが、そのことを学問で補うほど

困っていないのですから


いずれまた、ある世代を犠牲にして


自分たちはのうのう生き延びる

という選択をすることになるのです。


個人的な意見として

ご参考まで。