【第3928回】
最近、一般的な男性の会話を聞いて
少し戸惑ったので、そのことを述べます。
自分の車の話や、釣り、
マイホームの作りなど
話題がいくつかありましたが、
自分の本当に近い周辺のことが
気になっているのだろうと
思わされた反面、
それを無難な会話として
繰り広げている可能性もあると
考えたのです。
しかし、それにしては
そのことに集中して話していて
違和感がありました。
…
その違和感とは、会話の対象が
大人の行動範囲になっただけで
小学生の会話と質が何ら変わらない
ところにあるのです。
欲しいもの、やりたいこと、
それがごく個人的、かつ感情的で
なんら考察が入ることなく、
思ったままのことを疑いなく話して、
会話の相手もそれに同調しています。
行動の量や技術は上がったとしても
質という面で世の中に対する
洞察がありません。
真に苦労したり、挫折したことがない
と見ることもできますが、
そういう人たちが職業人として
世の中の中心にいると思うと
そりゃ、弱者に対して
虐待的になるだろうなと思うのです。
…
色んな立場の人がいて
色んな生き方がある、
それが世間の常識で生きていくと
どうでも良い話になります。
もちろん、いずれ、そのために
大きな挫折を味わうことも
あるとは思いますが、
そのころには、世間に影響力の
ない人として、なんの教訓も与えずに、
黙って死んでしまうでしょう。
そしてなにより、本当に優れた人を
認識できる素養が無いために
社会にとっての有益を、
個人的利益としてしか捉えない
大人ばかりになります。
残念ですが、そのことを学問で補うほど
困っていないのですから
いずれまた、ある世代を犠牲にして
自分たちはのうのう生き延びる
という選択をすることになるのです。
個人的な意見として
ご参考まで。