【第3632回】
何事もそうですが
「状況に応じて生きていく」
という考えが重要だろうと
僕には思えます。
状況が間違っていたり
状況に不満があるからと言って
たった一度の人生を
「親ガチャ」みたいなワードで
決定論的に扱ってみても
もったいないと感じるのです。
例えば、昨日の記事では
若者の価値観にちなんで
少子化や生産性に問題がある
ということを述べましたが
なぜ子供を産まないといけないか
なぜ生産性のために
働かねばならないか
と言ってみたところで
状況が要求していたら
やらざるを得ませんし、
やらざるを得ないなら
その問題を解決したほうが
人生は開けてきます。
状況を否定して変えようとしても
人生をそれだけに費やすか
費やしたとしても
結局自分の幸福には
意味がなかったという
手段の目的化が起きてしまいます。
…
では何をもって
「やらざるを得ない」と
判断するかというのは
僕にとっては
非常に明確なところまで
削るようにしています。
まず、僕は人類であり
日本人であること、
日本の文化を背負って生き、
考えざるを得ないこと
精神的な孤独では
幸福を感じることができず、
欲求のために生きることは
自分という個性ではなく、
生物の法則に支配されている
だけであること、
しかし、生物であることは
決して否定できないこと、
そして現代における
支配的権力が要求する生き方を知り
自分の幸福をその上で達成すること、
それらの全体最適を
考えるわけです。
シンプルに考えてみても
十分に複雑ですが
それでもある種の偏見や
思い込みがあれば
幸福になりようがありません。
…
何が言いたいかって
誰にとっても実存における
幸福は難しく、
時代の価値観は変化し、
運であることを考慮しても
考え抜くこと以外に
解決の方法ないということです。
結論が非常に抽象的ですが
自分が考えることを
怠るための言い訳をする
達人になってはいけない
ということもできます。
他人の評価に委ねても
他人は責任を取ってくれないし、
だからと言って
身近な他人にとって誠実でなければ
だれとも精神的なつながりを
持つことはできないでしょう。
そういうことを考えます。
ご参考まで。