【第3567回】



橘玲(たちばな あきら)さん

という作家がいて


タイトルにつられて

何冊か読んでいますが


何か言っているようで

何も言っていない


というような作風なので

読むたびにモヤッと

させられます。


そんな中で、一つの文章が

気になりました。


それは、現代では

大人として成熟する

必要が無くなったから


精神年齢が男性は26歳

女性は18歳くらいで止まる


というものです。


これは確かに、

その感触があります。


成熟する必要が無くなった

というのは


経済合理性だけで

生きていける

という意味でしょう。


大人然とする必要がないので

友達親子、友だち師弟

みたいな状態が


常態化しています。





翻って僕はというと、


子育てをしていて


どうしても大人としての

成熟を必要とすると

感じてしまうので


今や43歳になって

老人を通り越して

仙人のような


ほぼ誰にも通用しない、

理解されない思想を

持つようになっています。


こんなことは誇らしくも

何ともありません。


必要に迫られ、

疑問を払しょくするために


ある対象に「なぜ」を

繰り返していたら


そこまで行かねば

ならなかったに過ぎないのです。





ただ、一つ思うのは

子どもにとって


大人が責任をもって

身近な問題に向き合わない限り


寄る辺なき生き方しかできない

ということです。


「問題と向き合う」

ということに関しても


自分の意見を正当化するために

理論武装するのは

根本的に違います。


それは孔子の言う通り、

動機の問題が大きいのです。


自問自答を同時に必要とするし


それを続けるだけの

強い願いがなければなりません。


そういう意味で、

方法に依存する人は


本来的に問題と向き合っていない

ということができるのです。


個人的な意見として

ご参考まで。