【第3550回】



私たちは、批判する人が信頼できない。

批判は攻撃だと感じるからだ。

だから、批判されるとわかった瞬間に、

何とか自分を守ろうと、心の中で猫のように

からだを丸めてうずくまってしまうのだ。

また、相手が自分より少しでも

優位に立つことに警戒してしまう。

相手の言葉を正しいと受け止めることは、

自分が「負け」で、相手が「勝ち」になるからだ。



(p.142「第四の生き方」

 アン・ディクソン つげ書房新社 1982年)



著者はだからこそ

批判はデリケートな問題だ

と説明しています。


僕も確かにそうだと感じます。


これは他人だろうと

身内だろうと

変わりがありません。


「論理は人類の共通言語だ」


みたいな言い方をしますが、


そして、

頭の良いとされる人々は

このように考えていますが


そんなことはないのです。


なんなら、

一見してわからないように

感情を論理で包んで


自分の感情を

他人に押し付けるような

人間だらけです。


自分を守り、勝つために

論理を利用しています。





「7つの習慣」

という名著では、


その習慣の一つとして

「理解してから理解される」

というものを挙げていますが


詳しく言うのであれば


相手が「理解されている」

と感じ、納得している場合だけ


こちらの言うことを

理解してくれる


ということがあります。


理解されていないのに

批判など受け入れられません。


相手の言うことが

的を射て感じられないのです。


「私のこと知らないのに

分かるはずもない」


となるでしょう。


これはどんな関係性でも

根本的な感情の道理

ということができます。





相手のことを理解するのは

一大事業です。


相手の幼少期からの出来事、

出来事にまつわる精神史、


それらを正しく解釈して

初めて理解ができます。


「批判」とは相手をより良く

するための客観的作業ですが


それは理解をベースとしており


論理や常識で測れる

ものではないのです。


ご参考まで。