【第3549回】



「あいさつしない自由がある」

という発言をして大炎上した

20代男性がいるそうです。


この発言をした男性は


挨拶をするし、

挨拶は必要だとしており、


挨拶を強要するような

礼儀のない人に関して

警鐘を鳴らしたというのが


その意図と言います。





この辺の真偽は

どのようなものか分かりませんが


確かに、この話題に過剰反応して


「あいさつで人がわかる」

とか

「あいさつで評価できる」


という上から目線で

ジャッジしている精神性の方が

どうかしていると言えるのです。


例えば、


挨拶をよくして

人当たりも良かったご近所の人が


殺人事件を起こしたり

一家無理心中したりすると


「そんな人には見えなかった」


ということがありますが

その程度のものになります。


僕も挨拶をするし

挨拶の必要性は理解しますが


その仕方などでキレたり、

礼儀を強要するときに


問題は挨拶ではなく、

その人の自信のなさから来る


「なめられた!」


という感性にあると

判断できるのです。





ちなみに、僕は挨拶して

無視されても

それほど気になりません。


「そんなこともある」


くらいに思うのが

関の山です。


これまで生きた経験からも

そして、学問の上からも


コミュニケーションとして

挨拶の有無が


決定的なものではない

と知っています。


重要なのは、


リカバーできるか

リカバーを手助けできるか


ということでしょう。


そういう意味で、

挨拶は単なる入り口でしかなく、


それだけで偏見を持つほうが


コミュニケーションとして

硬直化した、程度の低い

ものにしかならないと考えます。


個人的な意見として

ご参考まで。