【第3539回】



職務上有能な人、あるいは有能であった人

でなければ来談者は自己を開くことにためらいをもつ。

自分の尊敬できる人だからこそ

恥も外聞もなく相談できるのである。



(p.164「カウンセリングの技法」

 國分康孝 誠信書房 1979年)




組織の人に対する

カウンセラーの能力として


スペシャリストであるよりも

ゼネラリストであった方が良い


という文脈から述べられたのが

引用文です。


多種多様な相談に対して


特定の分野だけの

知識しかなければ

相談しようがないので、


その悩みを聞き出して

各スペシャリストに

つなげる役割が必要になります。





その役割を引き受けるに

適当である人物について


ある意味当り前のことですが


尊敬に値する人

ということが述べられています。


この場合、能力に対する

尊敬だけではなく


人格が伴うことは

明白なので


ドラッカー先生の言う

「真摯さ」を伴った

ベテランを指すわけです。


簡易とはいえ、アドバイスを

与えるときにしても


「いやそれは

おまえもできてないじゃん」


と思われるようではダメで、


態度や行動が伴った人の

実践的で具体的なアドバイス

ということで考えると


なかなかにハードルが

高いだろうと思います。





勉強を常に続けている

ということも


人は暗に評価している

ように思います。


知識や情報を与えて

相手を変容させようにも


その言葉があまりに薄っぺらく、


すこしの突っ込んだ質問で

答えに窮するようでは


もう相談する気持ちを

失うものです。


そういう意味で、

僕は妻や子どもの相談に

快く応じるためにも


常に学問を続けているし


それは真に助けになることを

望んでいるから

ということもできます。


ご参考まで。