【第3529回】



今日は少し雑感を

述べてみます。


雑感なので、語りながら

自問するわけですが、


それは、根っからの優しい人、

あるいは思いやりのある人が、


理論武装しがちだ、

ということです。


自身は、思いやりで

人を眺めてしまうのに


人はどうやら思いやりではなく


自己中心的な考えをもつのが

普通であることに


ある時、気付きます。


実際として、率直に

思いやりで考えを述べたり、

助けようとすると


「偽善だ」とか、

「わざとらしい」


という評価しかされず


バカにされるとなれば

距離を取るしかありません。





だからといって

思いやりが思考のベースで

あることに変わりはないので


「偽善」ではなく、

「わざとらしい」わけでもない


そういう確固たる

理由を求めるようになるのです。


そうなると、

相手の自己中心性を

率直に表現するしかないし、


その上で、

本当に意味のあること、

役に立つことを


どうにかして

実現しようとします。





ところが、そういう

思いやりのある人の

幸福実現性は無視され、


無自覚に自己中心的な

人格の人にとっては


自分を自己中心的だと

評価されたことに

腹を立てるので


議論はどっちが自己中か

という心理的な執着へと

向かうのです。





これは、一般的に


態度がでかい、とか

言葉がきつい、とか

極論を言う、とか


そういう評価をされる人の中に

紛れ込んでいると考えています。


落合博満さんやイチローさん、

他にもその疑い、

可能性のある人はいますが


ひょっとすると


岡田斗司夫さんや

ひろゆきさんも

含まれるかもしれません。


直接の付き合いはないので

有名人に関して

確証はありませんが、


本当に思いやりのある人は

この能力主義の社会で


以上のような

態度になりがちだと

感じている、ということです。


いわゆる、本当の自己中や

サイコパスと

共通する部分もあるので


見分けは難しいですが


優しいからこそ

裏切られ、騙される場合も

あると思えば


理論武装の厳密さだけが

強調されてしまうので


やはり人生は難しいと

思わされます。


個人的な意見として

ご参考まで。