【第3525回】




昨日の記事では


「率直に訴えることの

できない愛情の不足」


というタイトル、内容で

意見を述べましたが

若干の補足をします。


なぜ、「ハラスメント」

という社会的な概念と


個人的な愛情不足が

関係するのかということです。


端的に言えば、


個人的な愛情の不足を叫んでも

誰も聞いてくれないし


幼稚な言い分としてしか

受け取ってくれないからです。


その不満を、どこかで

誰かに、間接的にでも

わかってもらいたいという


マグマを抱えている人が

いるとして


そのマグマを直接に語ること自体、


普段は無意識に無自覚に

禁じて暮らしています。


しかし、その不満が

社会的なものとして

目の前に現れると


自分の代弁者として

その問題を大きく取り上げて


解決、弁護の形を取りながら


実は、自分自身の弁護、解決を

図ろうとしてしまうのです。


例えて言い換えるなら


LGBTなどを社会問題にして

人権を擁護しろと叫びながら


実は、自分自身が

愛されないことを

理解してもらいたいだけ


ということがあります。





こういう間接的な

目的がありながら


社会を巻き込んでいくとしたら


当然、支離滅裂、滅茶苦茶に

混乱するのは目に見えています。


根本の原因は

この社会が子供を育む時に


真の愛情を発揮せず、


評価や達成を“暗に”要求する

態度をもっていることにあるのです。


ご参考まで。