【第3517回】




今日のように世の中が複雑になって、

教育を受ける者が皆第一に

自治の手段を目的とするならば、

天下国家はあまり遠過ぎて直接に

われわれの眸(ひとみ)には映りにくくなる。



(p.125「社会と自分 漱石自選講演集」

 夏目漱石 筑摩書房 1913年初刊行) 



明治44年、1911年に

行われた講演からの

引用文になります。


日露戦争にも勝って

すこし世の中が落ち着いたかな

という雰囲気だったでしょう。


その時に、引用のような

個人主義が論じられることに

妙に感心します。


つまり、現代と変わりがなく、


天下国家を道徳で論じることは

ロマンチックな態度と見られ、


ある種バカにされていた

というのですから


科学思想は幕末から続いて

現在に至ってなお


バランスを取れずにいる

ということでしょうか。





岸田首相を非難する人は


「俺の生活をどうしてくれる!」


という

「自治の手段を目的」とした

発想しかないわけで


国家など考えも及ばず


自分のために国家もある

くらいにしか考えません。


これが個人主義であり

現実主義というのであれば

疑問が出てしまいます。


国家を維持したうえで

国民の生活も

保障されるとするなら


「ロマンチックな道徳で

国家を論じる」


と思われたことには


現実的な対処が

含まれるはずだからです。


個人主義で、誰もが

好き勝手に主張して

まとまるはずもありませんから


能力主義で格差是認したうえで


経済中心の構造を

作るほかなくなります。


しかし、そうであればこそ

救済措置など廃止して

自己責任にされるわけですから


個人主義の目的である

自治を損なうという

矛盾が発生するのです。





以上の理由から、


教育の目的は現実的に

社会を俯瞰から見て


定められるべきだと感じます。


個人的な意見として

ご参考まで。