【第3504回】



YouTubeにある

アベマTVの討論的な番組が


切り抜きで出ているのを

見かけました。


そこで語られていたのが

端的に言って、


「この子どもを

育てにくい世の中で

子どもを産むのは無責任」


ということだったのです。


おそらく、多くの人は

人生の困難さをある程度

知っているはずで、


容易に反論が

できないだろうなと

僕には思えました。





ただ、それが世の中の

真理かというと

そうではありません。


現代人が出産を

無責任と思うのは


白人の個人主義思想が

流れ込んできたからです。


自由意志、機会平等が


個人主義を担保する

条件となりますが、


これはつまり、

他人からの介入を

悪とする考え方であり


自己責任の絶対化が

起きる元と言えます。


そうなれば、出産は

個人的な選択であり


個人の責任の下、


性的欲望を含めて、勝手な

行為でしかなくなります。


子どもの人生に

責任など負えないし、


他人に迷惑をかける

恐れがあるなら


すべきでないと

判断するしかなくなるのです。





当然ながら、昔の

日本では違いました。


同調圧力があるものの、


それは「社会」を人間の

中心に据えるためであって


子育てに関しても


世間が責任をもって

関与し、守らねばならない

と考えていたのです。


つまり、今の子育て観が

絶対ではない


という意味であって、


どちらが良い悪いという

意味合いではありません。


要は、どちらで

生きていくかという

選択の問題だろうと思います。


現代人は個人を中心にした結果、


生きていくのは困難だと

思っているわけです。





子どもと共に生き、

子どもと共に人生を味わう、


そこに、

誰かの責任を問う時点で


そもそもとして

生まれてきた人間、


つまり、「自分」の

人生を生きていない


と言うことができます。


そして、その原因は

個人主義です。


メディアが、成功者や

権威ばかりを映して


個人主義の良さを

アピールしていますが


勝ち組、強者にとって


都合の良いわがままを通す

論理でしかありません。


そういうことに

はっきりと気づかない限り

この悪夢に終わりはなく、


絶望死することすら

自分の責任だと思い込みます。


この解決手段は「勝つ」事

だけだと錯覚して


いよいよ殺伐として

生きるのが困難な世の中に

していくものなのです。





「自由意志」という

神経的な妄想による

目くらましによって


弱体化した個人を、


容易に操って黙らせるという

詐術をやって


豊かになっているのが

グローバルな富裕層だと言えます。


彼等にその自覚が

あるかどうかなんて

意味はありません。


多くの他者を

欲望で釣って巻き込んで


生きていけるものですら

生きていけないように

追い込んでいる以上、


社会悪でしかないのです。


そういう意味で、

成功者として祭り上げられる

ことに関して


拒否する態度を

取れるかどうかが


一つのポイントだと

僕は思っています。





生物として

基本的な機能が果たされなけば

人間は狂います。


それが今の社会を

端的に表現する状況です。


個人的な意見として

ご参考まで。