【第3444回】



安楽死を認めた方が良い

という意見があります。


介護や延命治療が

必ずしも適切ではないから

という意味合いですが


そうであるなら


延命治療を受けず、

緩和ケアだけで済ませる

意思表示、書類などを


健康なうちに整えるほうが

先だと思います。


安楽死自体は

生き方の問題であって


それが他人に影響する

場合があると思うと


容易に制度化など

出来るはずがないのです。


例えば、


とっとと死にたい

という絶望した老人がいて


簡単に安楽死を選択した場合、


そしてその数がある程度

半数近くを占めてきた場合、


それでも生きようとする

人に対して


「ご近所のあの人は

立派に安楽死したのに

彼はまだ生きようとしている、

税金の無駄遣いで

若い人に負担をかけている」


ということで

誹謗中傷や、その人の尊厳を

否定するところまで


必ず行くと思います。


そうなると

全額自腹でないと

治療の選択ができないため、


簡単に言えば、金銭格差が

寿命の長さに直結する

ことにもなるでしょう。


なんなら、自腹であっても

倫理問題として


安楽死の選択を正当化する

恐れすらあります。


コロナマスクを見る限り

日本人は極端にそうなります。





出産のための遺伝子診断に

ついても同様です。


この診断の精度はおそらく

どんどん高まるので


悪ければ堕胎するのが

一般化するのも

すぐそこまで来ています。


そうなれば、

不妊でようやく授かったから

出産するという時


「障害があれば税金を使うのに

迷惑だと思わないのか、

うちだって診断で

堕胎したっていうのに、

彼らはわがままだ」


と言われることでしょう。





合理化をどこまでも

進めるのであれば


生きること自体が

全て無意味です。


生まれてこない方が

良いと言えます。


他人に迷惑をかけず

役に立つ場合だけ

生きるのを許される


それはある程度

自明のことですが


問題は「迷惑」の程度

「役に立つ」の程度


にかかっているのです。


これを読んでいる方は

ご存じのとおり、


強迫的なまでに

その「程度」は

高まりつづけており、


若い人は適応障害を

抱えやすくなっていて


老人たちは被害妄想で

キレやすくなっています。


そういう意味で、

アメリカの合理主義は


「世界のガン」

とも言える代物であって


グローバリズムによって

その無限増殖は

今も続いているのです。


個人的な意見として

ご参考まで。