【第3432回】
最近の若い人が
しゃべってくれない
と当たり前のことを言っている
中年男性がいました。
なぜか、と聞かれたので
「話しても、わかって
もらえないからでしょ」
と僕が答えると、
不服そうな顔をします。
「ひょっとしたら
話せばわかると
思ってませんか?」
と聞き返したら
そうだと答えるのです。
…
話せばわかる
と思っている年長者に
話しても無駄だという
経験のあるのが若者で
そのことに気づいてない以上
価値観の押し付けをやるに
違いありません。
「それでも社会で
生きていこうものなら
分かってもらうために
話す必要があるだろう」
というのもその通りですが
もはや「分かってもらう」
気もなくなっているのです。
出世しなくてもいいし、
仲良くしなくてもいい
と言い換えても良いでしょう。
話す動機もないのに
話しても分からない人がいて
話が生まれる
はずもありません。
八方ふさがりです。
…
「話し方」として
前提となるのは
相手の価値観や動機の在りかを
知ることであって
何かの同意を取るための
合理的な理屈など
意味はありません。
もし、相手を若者に
フォーカスして
こちら側に話す動機があるなら
こちらが知る努力を
するべきなのです。
そういう意味で、
僕は自分の子どもを
理解するために
漫画やゲームなどを
定期的に実体験するように
しています。
もはや、興味など
それほど無くなっていますが
知るためには経験して
どのように感じるかを見てみる
しかないのです。
…
昨日は葬送のフリーレンと言う
漫画のことを考察しましたが
ひょっとすると
的外れに見えたかもしれません。
しかし、僕が見ている
今の若者の現実と
僕が若かったころの現実を
比較することはできます。
相対的に見て
そのような変化や態度の違いを
理解しようとするのは
決して無駄ではなかろうと
考えている次第です。
ご参考まで。