【第3348回】




家族のだれかが、

自分は無視されている、取るに足らない存在だ、

責められている、過小評価されている、見下されている、

拒否されている、愛されていない、

不当に扱われていると感じたり、罪悪感や無力感を抱くと、

攻撃的になるものである



(p.215「第3の案」

 スティーブン・R・コヴィー 

 キングベアー出版 2011年)



昨日の記事にも

通じる内容が引用です。


孤独な人は孤独を自ら招く


というのは、引用にあるように

攻撃性を伴う場合が

多いと言えます。


例えば、「車の調子が悪い」

と妻に言われて


「お前の運転が悪いんだ」

と言い返す夫は


車の不満を自分の性格や

能力に対する

攻撃だと取るのです。


「車の調子が悪いのは

自分の稼ぎが悪いからで

妻を快適にしてやれない」


と思う不安から逃れたくて


妻の感性が間違えている

と断定してしまいます。


結果として、互いに

見下されたと感じ、


罵り合いへと発展します。


つまり、発端は

自尊心の低さであって、


それは育った家庭によって

成されたものなのです。





ただし、これは

自力でコントロールするには

非常に困難な難問だと


僕には思えます。


なにせ、ことは

「感じ方」の問題であって


こちらが良かれと思って

行為したとしても


相手が感じていなければ

意味がないのです。


豊かな時代にあって

尚のこと難しいのは


行為やプレゼントが

大きな意味を

無くすことであって


昔は誕生ケーキや

プレゼントのおもちゃ、


運動会や遠足のお弁当に

愛情を感じられたものが


物質的に当たり前になると

愛情だと感じられません。


心を心で満たすという

猛烈に難しい


カウンセリングとも言える

応対が必要になるのです。


相手の心を察して

その心が伸びるように

補助をする


それにはより豊かで

余裕のある暮らしが

必要になります。





鬱病やニート、不登校

などの社会問題は


やはり社会の在り方に

起因します。


このような学問を通じて


互いに、現代の困難さを

理解し合うというのも


ひとつの方法かもしれません。


ご参考まで。