【第3284回】




近来の文士のごとく根底のある自信も思慮もなしに

道徳は文芸に不必要であるかのごとく主張するのは

はなはだ世人を迷わせる盲者の盲論といわなければならない。



(p.119「社会と自分 漱石自選講演集」

 夏目漱石 筑摩書房 1913年初刊行) 

 

 

興味関心、感情扇動的な

だけの文章というのは


やはり明治といわず

現代にも溢れています。


それとは逆に

人間の徳義性を打ち出して


感動させようとする

目的をもった文章も


人を迷わせる元だと

夏目先生は言うのです。


それを自然主義、浪漫主義と

定義することはできますが、


やはり現代の文章も

この2パターンのどちらか

でしかないと言えます。


夏目先生いわく、

それでは芸術的作品とは

呼べないとのことで


僕も全く同意ですが


その違いも判らず

勝手な解釈で徳義性や

感情論を振りかざして


得意になっている人が


レビュー文化隆盛の昨今

あまりに多いようです。


もちろん、僕も

その一人だと言われれば

どうにも反論できませんが


少なくとも、物語の力が

ある人間の本質や道徳を

浮かび上がらせる


そういう構造でない限り

良いものとは思いません。


例えば、高畑勲監督の

「かぐや姫の物語」は


ぼーっと見ていても

面白くもなんともなく、


自分がその世界に

入り込まないと


浮かび上がる人間の徳性など

見えようもないのです。


単に、アニメーションの

技術論を言うのでは

ありません。


それは小説であっても

同じことでしょう。





柳田國男さんの

民俗学にしても


ある伝説を聞いただけでは

何のことか分かりませんが、


それが言い伝えられた

という事実にこそ


人間の必要に迫られた

徳義性を内包する


深みが存在します。


それを一つひとつ解説しては

人間の本当の感動は

決して得られませんし、


やはり自分から入り込む

という作業なしに

理解はできないのです。


個人的な意見として

ご参考まで。