【第3192回】




過去にプール撮影会に取材で参加したプロのカメラマンは、

「出演者も参加者も特別な時間を楽しんでいたので残念」と口にした。

「プールで水着になることは普通のことだと思います。

プールでの撮影というのは、カメラマンにとっては

技術的に難しいと同時に、貴重な機会です」

「だからこそ、数少ない撮影の機会を楽しみにしていた人も

いるかもしれないので、残念ですね。自分の見る限りの話しかできませんが、

出演者や参加者の方々も、みんな特別な時間を楽しんでいたと思います」



(「プール撮影会」急遽中止へ グラビアアイドル、コスプレイヤーら悲痛な叫び

 https://news.yahoo.co.jp/articles/54cab21f113c19cc60bbacca8d46d52716992bfe?page=2

 6/9(金)ヤフーニュース)



この中止の理由は


「“性の商品化”を

目的とした興業」


だからということです。


引用の様な反論が

その手の趣味を持つ人によって

なされていますが、


結局のところ、

「公の場でやるな」

という結論になるでしょう。


ある程度隔離された空間で

同意のもとに行われる


という性質の趣味かと

僕には思われますが、


しかし、ほぼ裸の女性を

目の前にして写真を撮る

という行為自体に


何も思わない男性は

おそらくいません。


また、何か思うから

その撮影には価値があり


“特別な時間”になるのです。





先日、男性向けの性教育として

自慰行為を積極的に肯定し、


そのことで女性に対する

尊重意識を確保する


という書籍を紹介しましたが、


これを現実の女性を

対象とした行為にしては

意味がありません。


(書籍を紹介したブログ記事は

女性の性的な意志を尊重する

というタイトルです。)


撮影会などは

生身の女性を対象とするので


その場の欲求が膨らむ

可能性を秘めています。


例えば、公共の海水浴場などで

撮影を試みたくなることも


無くはないでしょう。


この境界線を作るのは

撮影の同意があるかないか

ということになりますが、


撮影に慣れてしまった人の

誰もが、自制心を持つ

なんてことはありえません。


悪ければ盗撮に向かいます。


撮り鉄が我慢できずに

マナー違反するような、

そういう有様です。


つまり、女性を尊重する

という大義を


社会が確保する時


生身の女性を性的に眺め、

その場で何らかの行為に移す


ということは

慎んだ方が良いのです。


現実の生身の女性には

尊重意識を持つことが前提で、


そのために

プライベート空間では

自らの性的欲望を許す、


という構造でなければ

なりません。





例えば、

何千万、何億の横領事件は


始めは小額から始まる

と言われています。


少ない額を盗んでバレず、

額を増やしてもバレないため、


次第に大胆になって


一般からすると無茶苦茶な

盗み方に発展します。


女性に対する性的な搾取

性的な暴力もこれに同じです。


始めタッチから始まり、

それでも何も言われないと

次第にエスカレートして


「嫌がらなかったから

同意があった」


みたいな愚かなことを

言い出します。


性的な意志があれば

些細な行為の積み重ねで

タガが外れて大胆になり、


撮影も盗撮も

境界線があいまいになり


女性の尊厳を脅かすのです。


「撮影会の女性は

ほぼ裸で写真撮られても

嫌がらなかったのに

抗議する女性は過敏すぎる」


という自らの行為に対する

正当化もありえます。





男の欲望は、それほど

お手軽にコントロールなど

できる代物ではありません。


感情や意志でさえ、自己を

揺るがす力を持っています。


だから、男性には

自慰行為が必要だし、


欲望を肯定したうえで

(抑圧すれば倒錯した

反動が待っています)


現実の女性に向き合う

必要があるのです。


もちろん、撮影会に

限った話ではなく、


キャバクラや風俗のように

その場にいる女性は


あくまで仕事として

普通でない態度を作っている


という認識を徹底させる

べきだと思います。


個人的な考察として

ご参考まで。