【第3019回】



「喜怒哀楽のうち一番消すのが難しいのは、どの感情か?」を争点に討論。

この件について聞かれたマツコは「私は悲しいだな」とポツリ。

「怒りは一瞬でセーブできるけど、結構、悲しいが続いた時って、

朝起きるのもキツい時とかない?」



(マツコ、喜怒哀楽で消しにくい感情は「哀」…

 「悲しいが続いた時って、朝起きるのもキツい時とかない?」

 https://news.yahoo.co.jp/articles/1361aa21651940927700594713cd659c920f580f

 1/9(月) ヤフーニュース)

 

 

 

朝起きるのもキツイ

ということは

ほとんどありませんが、


悲しいが消えない

という経験は


40過ぎて初めて

味わっています。


一昨年のコロナ大流行の

9月に僕の父が急逝して


もちろん、

悲しい思いをしましたが


それまで味わってきた

「悲しい」とは


別種のものだったわけです。


父親の存在に再び

生きて触れることがない


という事実が


子どもが4人の

騒がしい家庭にいながら


ずっと通底しています。


僕の父も40代にして

父母を両方亡くしていますが、


父は僕と付き合いながらも

こんな気持ちで生きていたのか


ということを

よく思い知らされるのです。





物事の本質を

「もののあわれ」と

本居宣長は考えたようですが、


つまり、悲しみの中に


深い感慨と真実が

含まれている


ということになるのでしょう。


人生が喪失とその悲しみを

味わうためのものだとするなら


すこし辛い気もしますが、


岡本太郎の母親であり

歌人の岡本かの子の歌に


「年々に、わが悲しみは深くして、

いよよ華やぐいのちなりけり」


というものがあります。


悲しみが、命の美しさを

教えてくれる


というような

素晴らしい歌ですが


そうだとするなら、


僕は妻子に囲まれて

素晴らしい時代を生きている


そう思えばいいのです。





父の存在が


僕に生きることの

意味を教えているようで


だからこそ悲しみが

必要だと思えば


少しほっとしたりもします。


個人的な感想として

ご参考まで。