【第2950回】



自分の意志で人の世話をしようと決めることもある。

しかし、純粋な善意から始めたとしても、

相手からくり返し聞かされる泣き言や不満に耳を傾けて、

くたくたになることが多いのではないだろうか。

そのうち、相手との間に適度な距離を置くことができず、

あらゆる要求に応じて見境なくめんどうを見るはめになる。


この権利は、自分ができることの限界を考え、誰の要求を優先したいか、

どこで境界線を引くのか、はっきりさせることを意味している。



(p.64「第四の生き方」

 アン・ディクソン つげ書房新社 1982年)

 

 

引用にある権利とは


他人の問題の責任を

取らなくてもいい権利


を指しています。


要するに、自分の領域として

線引きをしない限り、


どこまでも依存されて、


なおかつ、責任すら

なすりつけられる


ということです。


僕などはこの境界を

はっきりさせる人間なので


このことで困ったことは

あまりありませんが、


ひとつ注意点としては

「冷たい奴に見られる」

という点になりましょう。


ただ冷たいのでは

相手に対する善意もなにも

ありはしません。


なので、


僕のスタンスを

先に明確に伝えるのですが、


それは、


「僕が解決するのではなく、

あなたが独力で解決すべきで


そのために助けになることは

全力でやってあげます」


ということになります。





独力で解決する力


それを援助しなければ

何をどう助けても

救ったことにはなりません。


自分で自分の責任を

取ることができて


初めて自由に生きられるし、

幸福も感じられるのですから


その機会を、助けすぎることで

奪うことにもつながるのです。


そういう意味で、


どれだけ冷たいと思われようと

本当に相手の幸福を願うなら


境界をはっきりさせることが

優しさだと思います。


個人的な意見として

ご参考まで。