【第2902回】



昨日の災害に関することで


述べたついでに



ちょっと停電についても


考えを述べてみます。



現代人にとって


停電ほど厄介なものはなく



冷蔵庫、洗濯機で


まず生活がストップさせられ



テレビやネット(充電含め)で


情報や娯楽のほとんどが


消失するのです。



もちろんラジオが


最後の情報源でしょうが



radikoに頼っていれば


いざというときに


どうにもならなくなります。



だから、備えが重要


というわけですが



いずれにせよ


苦痛が伴うでしょう。





そんなことを考えると


二宮尊徳を思いだします。



彼は幼少期から叔父に


育てられていて



いわば食わせてもらっている


負い目がありました。



そんな中、勉強するために


本を読みたくて仕方なかった彼は、



日中、農作業などの手伝いをして


夜にしか本を読む


時間がないために



小さい灯をともして


夜勉強します。



ところが、灯をともす


菜種油がもったいないとして



叔父から禁止されるのです。



そこで彼は、誰も使わない


沼地に菜の花を育て、



作業の合間を見て


菜種油を作ったといいます。



それでようやく夜


勉強ができると思いきや



またも叔父から



食わせてもらっているなら


油を作るような暇に


別の事を手伝え



というようなことで


禁止されてしまうのです。



尊徳自体も、それには納得し


最後の手段として



薪拾いの行き帰りに


本を読むことにしました。



それが学校の銅像にある


二宮金次郎の姿というわけです。





苦労の多い彼ですが、



本を読む喜びは大きかった


だろうと思います。



その努力が


農業指導の実力者にして



教育者としても


人から敬われるように


なるのです。



僕らはこのような


不便から遠ざかったために



反って喜びからも遠く、


不満ばかりが


付きまとっています。





教訓を得ようにも


難しい話ですが、



このような人がいた



ということぐらいは知っていて


損はなかろうと思います。



ご参考まで。