【第2897回】



革命の担い手となりやすいのは、よりよい生活の味を

幾分かは経験した人びとなのです。

彼らが経験し、当然のものと当てにするようになった

経済的・社会的改善が突然手に入りにくくなったときに、

彼らは以前にも増してそれを欲するようになり、

それを確保するためにしばしば武力蜂起するするようになります。



(p.308「影響力の武器――なぜ、人は動かされるのか」

 ロバート・B・チャルディーニ 誠信書房 1985年)


引用の例として

60年代の黒人の暴動が

挙げられています。


生活水準は奴隷時代に

比べようもなく上がったのに、


少しの停滞も

我慢できなくなった

というのがその理由です。


もっと簡単に言えば、


手に入っていたものが

手に入りづらくなることに


非常な心理的負担を

人間は感じるようになる


ということです。





今更、

エアコンのない生活など


現代人は絶対に

我慢ならないし、


冷蔵庫や自動車、

洗濯機など挙げれば

キリがありませんが、


一度手に入った自由を

決して忘れることが

できないがゆえに


それを奪われるのには

恐怖、不安、


それに伴う怒りが

出てきます。


現代の子供に

ニートが増えるのも


これが一番の

原理ではなかろうか


とさえ考えるところです。





一般的に、子どもとして

家庭にいる時代は


ほとんどすべてのものが

享受されており、


それは食べ物であり、

ゲーム、おもちゃ、

人間関係に到るまで


不足するものがありません。


しかし、いざ、

社会に出るにあたって、


その時間をほとんど費やして

働きに働いて、


その果てに得るものは、


家庭にいた時に

すでに得ていたものか


それよりも程度や量が

減ってしまうのです。


これではやる気の

出ようがないし、


ニートとして

家庭に居座った方が

マシではないか


という反抗が起きるのは

当然とも言えます。


高度経済成長時代の

子どもたちは違います。


あらゆるものに不足した

子供時代にあって、


家庭にいるよりも


働いて好きなものを

自分で購入したほうが


はるかに

満足を得られるという


心理的なギャップが

存在していたのです。





もう一度、引用を

ご覧ください。


現代の働き方を

考えるときに、


この作用を

考慮すること抜きに


決して解決策など

得られるものではありません。


人間が豊かに生きることと

物質が豊かであることは


イコールではないのです。


ご参考まで。