【第2875回】




めんどうを見てくれる人のいない子どもはみんな、

〈子どもの家〉にあつめられてるんだ。

子どもだけですきなことをするのは禁止されたのさ。


そのわけは……まあ、ようするに、

子どもたちはいまじゃ保護されてるんだ。



(p.292「モモ」

 ミヒャエル・エンデ 岩波少年文庫 1973年)



悪の組織の手によって


親のもとから引き離された

子どもたち同様


面倒を見てくれない

子どもも同じように


「保護」されるようになった

というのが引用です。


「保護」という言葉が

意味しているのは


一カ所に閉じ込められて

すきなことをするのは禁止


というに過ぎません。


「面倒を見てくれない子供」

という定義を


厳密に見てみれば、


夫婦ともに働いている

その時間の子供も

同じく含まれるのですから


保護という言葉の意味を

考える必要があるでしょう。





最近、精神疾患に関する

本を読んでいた時に


児童養護施設での

体罰による虐待が減った


という記述と共に、


安易に向精神薬が処方され

施設を出ていくときには

薬づけにされている


という文言がありました。


つまり、従来の

体罰のタイミングで


代わりとして

薬を使っているのですが


「親がいなくなって

めそめそ泣き続ける」


「学習時間中に

我慢できずに遊んでしまう」


とにかく、


「元気がなくなる」


「先生の言うことを

聞かなくなる」


何でもかんでもです。


しかも、その処方を

許しているのが


精神科医だというから

始末に負えません。


だから安易に専門家という

権威を信じられないのです。


常識で考えて、

子どもなら普通の態度を


矯正すると言って


体罰でやることは

家畜と同じ扱いだし、


だからと言って


それを薬にしたところで

やはり家畜と同じになります。





もちろん、先述の本と

内容が嘘の可能性もあり、


僕はすべての施設の

実態を目撃していないので


真実だとは言い切れません。


しかし、現状の日本人が

いかに精神科医に頼って


実社会を我慢しているか

考えてみても


起こりうる問題だと

思えるのです。





引用元の悪の組織とは

一体なんでしょうか。


概念的に言うのであれば


資源を独り占めにして

一般人を「発展」のための

犠牲にする


そんな奴らです。


現実世界とどれほど

違いがあるでしょうか。


そしてその時に

真っ先に犠牲されるのが


子どもたちの自由であり


その後大人にあるであろう

精神の健康になります。


マザコンに溢れかえった

現代を見れば


やはり同じです。





よく僕は


性同一性障害以外の

LGBTに関して


愛情不足のマザコンの

変形でしかない


という意味合いの

言い方をしますが、

(ユング心理学より)


だからと言って

LGBTを矯正したり

否定しろなんて


一切考えません。


原因を理解する時に、


ただただLGBTを

受け入れることは


個々人の幸福にとって


解決ではないと

考えるだけです。


愛情を奪うような社会の

体制を排除しない限り


倒錯した人間関係で

不幸になる人を


減らすことができない

ということです。


(人間性を否定する

芸能界を見れば

多数その事例が見れます)


それはLGBTに限った

話でもありません。





“自分が”目に見えるもの、

物質的な合理性だけで


物事を判断し過ぎるので

本質を見失います。


本質を見失えば

体裁だけの不幸な人間を

量産していきます。


では、本質とは

なんでしょうか。


おそらく、


子育てを中心とした

人間生活としか


言いようがありません。


それを否定することは

人間であることを

否定することであり、


ひいては、その思想によって

人間が壊れるのです。


本来、思想は


人間を活かさねば

ならないものです。


引用の表現は

そうした意味を含んで

いるのだろうと思います。


個人的な意見として

ご参考まで。